【世界遺産】富岡製糸場は絶対に行くべきオススメスポットだ。

群馬県にある世界遺産「富岡製糸場」に行って来ました。

 

ぶっちゃけた話。

最初は「世界遺産」ってだけで行こうって思ったのが、この富岡製糸場。

 

調べてみると、世界遺産に認定されるときに、世界遺産を認定するかどうかの会議で、満場一致で登録が決定したのが、この富岡製糸場のようでした。

「そこまでの物なのか?」って想いがありました。

っていうのは、ボクの勝手な偏見で「世界遺産=キレイな景観」って変な概念があったからです。

 

だから、なんで富岡製糸場が世界遺産になったのかってことさえよくわかっていなかったし、「単なる生糸工場」がなんで世界に認められるのか。ってことさえもよくわかっていませんでした。

 

 

でも、行ってみて、そんな疑問が一切吹き飛びました。

実際に行ったからこそ、この富岡製糸場は「絶対に行っておきたいオススメの世界遺産」でした。

 

 

富岡製糸場に行く前に寄っておきたい高崎駅の名店

 

まず、電車に揺られ、着いたのが「高崎駅」

 

富岡製糸場は、電車で行く場合、この高崎から上信電鉄を乗り継いで約40分ぐらいでたどり着きます。

 

 

ちょうど昼過ぎぐらいに着いた高崎駅。

 

この高崎駅に来ることがあれば、一度行ってみたいと思っていたのが「デルムンド」でした。

 

というのは、以前「マツコの知らない世界」で、「絶賛の学食」というのが紹介されたことがあったんですよね。

それを見たときに「コレ食べてみたいなぁ〜!」って思っていた矢先、富岡製糸場に旅行に行ったので、「めちゃくちゃ都合がいい!ついでで行ったれ!」って。

 

高崎駅から歩いて5分ぐらいかな?

 

2階にあるのがデルムンド。

 

マツコの知らない世界でやっていたデルムンドのハンブルジョア。

 

どでかいハンバーグが乗ったミートソーススパゲッティ。

マジで肉肉しいハンバーグと、家庭的なミートソース。

 

これで950円なのは、めちゃくちゃ安い上に上手い。

ただ量が多すぎて、食べきれないほどでした。

(流石「学食」の世界で紹介されたほどw)

 

 

デルムンドを出た後に、気付いたんですが、「結構時間を使ってしまった」。

時間はもう14時30分を回った所でした。

 

富岡製糸場を調べてみると、「1時間じゃ足りなかった」「時間に余裕を持って回った方が良い」という意見が結構あるんですよね。

んで、上伸電鉄は大体30分に一本しか通りません。

 

となると、15時ぐらいから出る電車に乗って16時前に着いても、17時までしかやっていない富岡製糸場は、1時間ぐらいしか回れないことになってしまう。

あんまキツキツで回りたくないってことで、この日は高崎駅で止まって、次の日の朝から富岡製糸場に行くことにしました。

 

 

色々と時間をつぶしながら、その日の夜に食べたラーメン。

高崎駅はラーメン店が多いんで、ラーメン大好きなボクとしては最高な町でしたw

 

 

富岡製糸場に抱いていた「なぜ」。

 

9時にホテルを出た次の日。

あいにくの雨w

 

今日は時間がたっぷりあるので、余裕を持って富岡製糸場へ向かいます。

 

上伸電鉄で揺られること約40分。

 

上州富岡駅に着きました。

 

駅前の建物。

 

富岡製糸場の知識0のボクは、「駅前に世界遺産が?」と思えるぐらいに似た建物にびっくりしました。

(これは世界遺産の富岡製糸場ではありませんw)

 

 

無事、上州富岡駅に着いたものの、未だに解けない「富岡製糸場が世界遺産へ登録された意味」

電車内が約40分もあって結構ヒマだったので、色々と富岡製糸場について調べていたんですね。

 

そこには「歴史的建造物がかなり状態がよく保存されていること」

また、「日本の近代化に向けて発展を促した」。

「海外との有効的なつながりを作った」などなど。

 

まあ、色んなことが書いてある訳です。

でも、どうにもピンと来ない。

 

この時点では「なぜ、富岡製糸場が世界遺産に登録されたのか」が、分かりきっていませんでした。

そんな知識0の状態でウヨウヨしていても仕方ないので、富岡製糸場へ向かいます。

 

道中には看板が立っていて、分かりやすく道案内されている。

 

歩いて行くと、10分ぐらいで、ようやく見えて来た富岡製糸場。

(一番奥の建物が富岡製糸場)

 

近づいて行くと、平日なのに、観光客や遠足の子供が結構居る。

 

正門に掲げられてる「富岡製糸場」の看板。

ここで入場料を払い、いざ富岡製糸場の内部へ。

 

いざ、富岡製糸場へ

 

 

 

入り口を入ると、富岡製糸場の下調べをしていたときに何度も見ていた「東置繭所」が見えて来ます。

ちなみにこの「東置繭所」は国宝に指定されています。

 

この東置繭所の上には、設立した明治5年の看板が。

 

 

当時、1階事務所、作業場として使い、2階には繭を貯蔵、保管に使っていたそうです。

 

ちなみにこの「東置繭所」の裏側はこんな感じ。

 

「東置繭所」の2階はこんな感じ。

 

おそらく「東置繭所」の2階では、こんな感じで繭を保管していたんでしょうね。

 

 

東置繭所の1階で、富岡製糸場への謎が全て解けた

 

確かにでかでかとデカい建物。

キレイで保存状態の良いレンガ作り。

スゴイのはスゴイんだけど、まだボクは「なんで富岡製糸場が世界遺産に登録されたのか」がピンと来ていない状態でいました。

 

そんな中、入ると一番最初に目に入る「東置繭所」の1階に行ってみることに。

東置繭所の1階は、今は富岡製糸場の歴史や生糸が出来るまでが分かりやすくパネルで展示されていたりします。

 

こんな感じで富岡製糸場の全体像の模型も。

 

世界遺産登録書なんかも、この東置繭所の1階に展示されていました。

 

色々と展示品を見ていると、東置繭所の1階で「富岡製糸場の歴史」見たいな映像が流れているんですね。

およそ20分ぐらいの上映時間。

 

その映像を見た瞬間に、「なぜ富岡製糸場が世界遺産に登録されたのか」の謎が全て解けたんです。

 

仮に富岡製糸場へ行く機会があれば、絶対にこの映像を見ることをオススメします。

その後回る富岡製糸場が10倍以上楽しく回れると思いますね。

 

富岡製糸場が世界遺産になった理由を案内しながら分かりやすく解説

 

まず、富岡製糸場が世界遺産になった理由としてあげられる1つ目。

「日本の近代化への先駆けになった」ということ。

 

これは、今ある日本のイメージの「物作り日本」「メイドインジャパン」とかってイメージを持っていると、なかなか理解しがたいと思う。

この「物作り、技術の日本。」というイメージを壊すことで、富岡製糸場が世界遺産になった理由が見えて来ます。

 

今でこそ、経済大国と言われ、中国に抜かされるまでは世界で2番目の国だった訳です。

ただ、そんな日本でも当然「発展途上国」だった時はある訳で。

 

 

明治に入る前。

ペリーが来航し、日本は大政奉還をし、朝廷へ政権を戻す。

そして鎖国を辞めて、開国するようになり、明治という時代に入って行きます。

 

上とか下とかで見るつもりは全然ないんだけど、今のフィリピンとか東南アジアに近い状態だったのかな?って。

 

 

例えると、西洋は今とほぼ変わらずクルマでビュービュー移動しているのに、まだ日本は馬又は徒歩みたいな。

また例えるなら、テレビを見ていて「電気とか通っていない国の町」を見るとびっくりすると思う。

「え?テレビないの?」「携帯ないの?」って。

 

ボクらからすれば、電気がついて電波をキャッチしてテレビが見れて、携帯で気軽に電話出来るって言うのが当たり前で、電気とかガスが通っていない国の事情を見るとびっくりすると思う。

でも、びっくりされてる側が明治初期の日本みたいな感じ。

 

欧米では、産業革命が起きて、機械でバンバン物を作っているのに、当時日本では工場もなければ、輸出出来る物もない。

世界から見ると、恐ろしく遅れていた訳でした。

 

 

「どうすれば日本を豊かに出来る?」

そう考えた日本は、政府自らが力を入れて「生糸の生産」に力を入れるようになります。

どうやら当時、西洋では生糸に関する病原菌が蔓延していて、生糸が不足しているそうでした。

 

「生糸を輸出して、日本を豊かにしよう」

その志のもとに、日本に製糸場を作ることを国は決めました。

ただ、当時は技術力もなく、世界から「日本の生糸は悪い」と、最悪のイメージをもたれていた。

 

だから当時の日本は、生糸の生産や製法に精通していたフランス人の「ポールブリュナ」を迎え入れる訳です。

そして、このポールブリュナこそが、この富岡製糸場を作った人でした。

 

ちなみにそのポールブリュナが宿泊していたとされる館。

富岡製糸場の敷地内にこのブリュナ館があります。

 

 

ただ、ポールブリュナが責任者になった所で問題は山積み。

 

製糸場を作る上での問題点その1:建物の建築

 

オッケ!世界に誇れる生糸を作って日本を活性化させようぜ!

そう意気込む訳ですが、まずぶち当たったのが「建物の建築」です。

 

というのは、コレまでの日本は、今みたいな大量に生産出来る大きな工場は1つもありません。

 

 

欧米のような大量生産出来る、大きな工場って言うのは、「機械」を導入して初めて大量生産出来るようになります。

その大きな機械を工場内に入れる為には、日本の建築法だと上手くいかない。

というのは、日本古来の建築法は、柱を作り支えるようにして作るから、大きな機械を導入する為のスペースがどうしても作れない訳です。

 

ちなみにコレがブリュナエンジン。めちゃめちゃデカい。

 

「じゃあ、どうすんべ?」

そう考えたポールブリュナは、母国フランスの「トラス構造」という日本にはない建築方法で、製糸場を作ることにします。

 

 

そのトラス構造というのが、国宝になっているこの「繰糸所」の天井にあるコレ。

 

 

普通、天井を支える為に真ん中にある「柱」がないことが分かると思います。

これが「トラス構造」

 

こうすることで、空間を広く用いることが出来て、広いスペースに機械を導入することが出来るようになった訳です。

ちなみにこの柱のないトラス構造は、今も学校や施設なんかでも使われている建築法だそう。

 

 

製糸場を作る上での問題点その2:建物の装飾品が作れない

 

機械を導入するスペースは確保した。

ただ次なる問題点が、建物に関する「装飾品が作れない」ということ。

 

フランスの工場で使われる壁には、主にレンガが使われていました。

ただ、日本ではレンガを精製する技術はなく、「レンガ?なにそれ?」状態。

 

大量のレンガが建物には必要になるし、建築の土台となる礎にも石を細工する技術が必要になる。

そこでブリュナは、レンガを精製する技術や石工の技術を教え込みます。

 

 

ここでブリュナは「フランスから全てを輸入する」っていう選択はあえてせず、日本の技術力や力を与える為に、材料は日本で用意し、加工するって言うことを重要視するわけです。

木材で骨組みを作り(和)、壁にはレンガ(洋)、その上は瓦(和)で作るようにしたり、レンガの材料や土台に必要な石などは、全て日本で採掘し、日本人に作ってもらいました。

 

だから入ってすぐにある、この「レンガの建物」に魅了される訳ですね。

 

 

また、日中はフルで工場を稼働させる為に必要な光。

電気がないこの時代、自然光を取り入れる為に必要だったのがガラスです。

 

ただ、当時ガラスを作る技術がなかった。

それでも足りないガラスなんかは輸入して何とかまかないました。

 

広い天井と、大きな窓。これも繰糸所の内部です。

遅れましたが、この繰糸所も国宝。

 

その他にも、まだ日本にはなかった排水溝というシステム。

日本ではなじみがなかったが、欧米で日常化していた「日曜休日」というシステム。

8時間働くという労働時間の仕組み。

こういった今の社会の礎を、この富岡製糸場が先駆けになって作って行ったんですね。

 

 

製糸場を作る上での問題点その3:生糸の品質

 

製糸場のための建物が作れるからと言っても、一番大事な問題が残っています。

それが悪いイメージしかなかった「日本の生糸の品質の問題」

 

欧米に比べて圧倒的に足りない技術力。

足りない技術力が原因で、品質のいい生糸を作れない。

 

じゃあ、どうすれば品質のいい生糸を大量に生産出来るのか。

そこで導入したのが、トラス構造を用いてスペースを確保して導入した「機械」だったわけです。

 

 

型落ちの機械であれば安く仕入れられるとのことで、欧米から型落ちの機械を仕入れます。

またこういった機械も「ただ単に使う」とするのではなく、ブリュナは日本人が使いやすいようにと、サイズを変えたりして、工夫をしています。

 

 

また品質のいい生糸を作る為に欠かせない、キレイな水。

その為に、輸入した鉄板を用いて、この鉄水溜でキレイな水を貯蔵するようにしました。

またこの鉄水溜も鉄板だけは輸入、後は日本で加工して作られたものだそうです。

 

 

こうして数々の困難を乗り越えて、富岡製糸場が作られた訳でした。

そして、この富岡製糸場を皮切りに、ノウハウを学んだ工女の方達の力添えがあり、生糸世界一の生産量、世界一の輸出量を誇るまでになったわけです。

まさしく「メイドインジャパン」の元祖、そして先進国になっていた由縁が、この富岡製糸場ということ。

 

なるべくして富岡製糸場は世界遺産になったんだ。

 

ボクはこの富岡製糸場に行くまで、正直「なんで富岡製糸場って世界遺産なんだろう」の疑問が止まりませんでした。

でも実際に行ってみたら、間違いなく「なるべくして世界遺産になった」と言えると思いますし、審査員が満場一致だったって言うのもうなずける。

 

それは礎のための採石技術だったり。

レンガの加工技術であったり。

生糸の精製技術であったり。

そもそも、今の日本の社会の基礎だったり。

技術が遅れて、経済が進んでいなかった日本に、細工の技術を。加工の技術を。産業革命の基本を。今の社会の礎を。

富岡製糸場がきっかけになって、各地で富岡製糸場を真似して日本は発展して行き、更には品質を認められ輸出大国になり、世界2位にまで上り詰める結果になったから。

 

全ては富岡製糸場から始まったと言っても過言じゃないでしょう。

 

例えるな、ドラゴンボールの孫悟空と亀千人が出会うようなもの。

ワンピースでルフィとシャンクスの関係のようなもの。

これらに似ている出会いだったんだと思います。

 

正直行くまでは「世界遺産だから」という理由でしか、富岡製糸場を見ていなかったのですが、行った後の今は間違いなく「日本人なら行っておかないと損する世界遺産」だと言えると思いますね。

マジで行ってよかったと思いました。

最後まで読んでくれたあなたに。

副業、ネットビジネスなどで稼ぎ、自由になるにはどうすればいいですか。

そんな質問を数多くもらいましたので、この1つの記事にまとめました。

平凡なサラリーマンが月収100万円稼いだ方法のすべてをここに。

気になる方は、ぜひどうぞ。


 

国内旅行趣味
運営者プロフィール

名前:ちゃんこま

経歴: 実家で営んでいる美容院が経営悪化により倒産し、父親が自己破産。大学生だった当時、学費が払えず大学を中退し、家族4人どん底生活へ。中退した後、あえなく就職し、工場勤務や営業など様々な労働地獄の波に呑まれる。

ブラック企業の会社員として、12時間以上働きながら始めた副業が、開始2ヶ月で23万円稼ぎだしサラリーマンの給料を超える。さらに4ヶ月目には月収30万円、その後も月収63万円と減ることはなく、サラリーマン時の約4倍の収入を得る。

これまでの経緯やノウハウを電子書籍化した結果、大手電子書籍掲載サイトにて、新着ランキングトップ10位入りの常連と化し、最高位2位を受賞。更に2017年4月にはAmazonに電子書籍を出版し、アマゾンランキング1位を2部門で受賞。見事2冠を達成し大きな反響を得る。

現在は独立しオウンドメディア運営、情報ビジネス、webマーケティング関連など様々な事業を展開。節税の為に法人化するか現在検討中。

会社に雇われなくとも,自由に生きて行ける」をモットーに、誰にも雇われない人生を送る。更に今後活躍が期待される注目株。

⇨詳しいプロフィールはこちら
CHANKOMA.COM