会社の成績のために働く人生ってなんなんだろうね。

よく仕事での業績や成績、がんばりを、自慢してくる人に出会います。

 

「今月も営業成績ナンバーワンだった」「課長に昇進した」「賞を取った」

承認欲求を満たしたいのか、はたまた自分を他者から認めてほしいのか。

理由は定かではありませんが、よく会社での働き自慢をする人に遭遇します。

 

そこでボクが思うのは、「会社のため」に頑張る必要ってなんだろうと、いつも思います。

 

優秀なボクの友人の働きっぷり

 

口だけ達者で成績の自慢話ばかりする人は除いたとして、本当に優秀な成績を残している人の自慢話なら、それは素晴らしいことだと思います。

彼らの働きっぷりは本当に凄まじいです。

 

ボクの友人にも1人本当に優秀だなと思える人がいますが、尋常じゃないほど会社のために身を粉にしています。

トップ成績を残しているにもかかわらず、おごることなく1時間前に出社する。

夜も遅くまで残業をして、いつも帰るのは終電。

 

資料がとてつもなく入ったバーベルぐらいに重いカバンを毎日毎日持ち運んでいます。

休日にも休むことなく、今資格の勉強をしているそうです。

今度試験があるからと、その勉強に費やす日々。

その資格も、今の会社に必要な資格だからとるそうです。

 

毎日の業務と、資格の勉強とで、1日の睡眠時間は3時間ほどらしいので、まさしく強靭な肉体と言えるでしょう。

それでも体は壊さず、いつもにこやかとしているので、大したもんです。

 

「なんでそこまで頑張れるのか」

ふと疑問に思ったので聞いてみると、会社のために頑張るのが当たり前じゃないの。

と至極真っ当な意見が帰って来てしまったので、ボクはその時点でノックアウトでした。

 

ボクは彼を素晴らしい、カッコイイサラリーマンだと思いますし、尊敬している友人の1人です。

 

 

「今月も営業成績ナンバーワンだった」「課長に昇進した」「賞を取った」

よく仕事での業績や成績を、自慢してくる人に出会いますが、おそらく彼の前に立ったとき、ほとんどの人は「上辺だけの成績だった」とひれ伏すでしょう。

それほどに、努力している姿を見て来ました。

 

ある日の戦力外通告

 

そんなある日。

友人とその会社の社長とが、後輩の育て方で対立してしまいました。

 

その会社の社長は、後輩にはガシガシ言って聞かす体育会系。

出来ないのであれば、少し叩くぐらいのレベルは許容する範囲。

 

しかし友人は、きちんと話し、出来るようになるまで見守る方法。

出来ないときには、きちんと寄り添って分かるようになるまで、教え込む姿勢。

 

上から叩きあげて、付いて来れない奴は切り捨てる。

そんな社長の考えに対し、友人は横で一緒に歩く。そんなイメージだったそうです。

 

 

友人に対し社長は、そんな甘え考えの奴は伸びないし、利益を考えればぬるま湯でじっくり育てるより、いち早く一人前にし、利益に還元される社員を育成しろ。

そんな風に言っていた様でした。

 

対して、友人は、今のご時世、キツく言ったからといって成長する訳ではないし、今出来なかったからといって大成しない訳じゃない。

今の若い子たちを見ていると、ゆっくりじっくり育むべきだ。

そう考えている様でした。

 

利益重視の社長。

人間味重視の友人。

 

後輩を育ている位置にいた友人は、真っ向から社長と対立したようでした。

 

 

しかし立場は会社で雇っている立場と、雇われている立場で双璧を成します。

中小企業にありがちなワンマン社長の経営の会社だそうで、その会社での出来事は全てワンマン社長の一任で全てが決まります。

その対立をきっかけに、修復不可能なほどの関係になってしまい、結局友人は自主退社と言う名のクビという結末になってしまいました。

 

 

もちろん友人は元々、超が付くほどの優秀さで、会社では数々の成績や実績を残して来ました。なぜ、そこの中小企業にいたのかさえ謎なので、彼が希望すれば転職は容易でしょう。

 

ワンマン社長が、黒といえば黒となるし、カラスも白といえば、白色になり、気に入らなければ、切ってしまえばそれで終わり。

雇わう立場と雇われという立場だから仕方ない。そう彼は言っていました。

 

会社のための成績のために頑張る理由ってなんなんだろう

 

確かに会社のために頑張ったことが、見返りとして帰ってくるのなら、頑張る意義にはなるでしょう。

 

しかし、友人のケースで言えば、自分の時間も顧みず、プライベートさえも勉強にあて、そのほとんどの時間を会社のために費やしていたのにも関わらず、月の給料は35万円前後だったそうです。

一般的な会社員と比べれば、少しもらっている方なのかもしれませんが、彼がとって来た契約は1件2000万〜3000万円の案件。それを月に10件ほどとってくる屈指の実力者です。

 

それのうち会社が固定費、コスト費、テナント費、広告費、会社の利益、もろもろの諸経費を引いて、自身の懐に入ってくるのは雀の涙程度。ほとんどインセンティブがないようなものでした。

さらに言えば、彼が働いている時間や労力を計算すれば安い方です。

かなり優秀な上、惜しみない努力を会社に捧げていましたから。

 

 

会社に忠義を誓い、死力を尽くす。

これはこれで、まっとうなことなんでしょう。

そして当たり前の価値観のように捉えられています。

 

でも結局、「今月も営業成績ナンバーワンだった」「課長に昇進した」「賞を取った」

これらの経歴や成績は、結局のところその会社での活躍を示したもの。

 

他の会社に行くための転職には有利に働くかもしれませんが、それが自身に帰ってくるものという保証にはなりません。

そして、対立関係になった途端、捨てられる。

 

 

会社のために頑張って、なにが得られるだろう。なにが残るだろう。

そう考えると、友人の例のように、もっと自分のために頑張っても良いと思います。

し、他者のために使った時間が多ければ多いほど、自分の人生を棒に振り、他人のために生きている。それが家族や子供のためならいとわない時間ですが、会社のためとなると、勝手が違います。

 

いつかは人は死にますが、他者のために時間を費やした人は、死ぬ間際になって必ず後悔すると思います。

もっと○○したかったなと。

 

それでも尚、他者のために生きるってなんでだろう。

そう思わざるを得ません。

 

終わりに

 

学校教育では、良い会社に入って、その会社のために尽くす。

そう教え込まれます。

そして今でも根強く思われています。

 

もちろん自分を犠牲にして生きることを美徳と感じる日本の文化があるのは間違いないですが、ボクはもっと自分のための人生を生きていいと思うし、自分のために時間をめいいっぱい使うべきだと思います。