なぜ同じ教科書を見て勉強してるのに成績が違うのか

昨日ふと、1つのことを疑問に抱いてから、1時間ぐらい「ポケ〜〜」っとずっと考えこんでいました。

何を物思いにふけていたのか。

 

それが、「同じ物を見たり学んだりしているのに、結果が出る出ないの差が生まれるのか。」

 

まあ、これは発信者と受信者とで、永遠の課題でもあって、学校なんかでも、同じ教科書を見てるのに、勉強が出来る出来ないって言うのが如実に現れる訳です。

 

またボクらの業界もこの結果が出る出ない、上手くいく行かないの差が謙虚に出る業界でもあります。

 

 

「なんでだろうなぁ〜?」

「なにが差なんだろう。」

そう、なんとなく、ふと考えはじめたら結果的に1時間ぐらい立ってしまっていました。w

 

こういう人が上手くいく!

こういう人は上手くいかない!

そんな話題ってのは、耳にタコが出来るぐらい聞いた事があるだろうし、やっぱりだれもが言ってそうな事を言っても面白くない。

 

そんな根性論ではなく、「今んところはそれが全てだよなぁ」っていうボクなりの答えが1つ見つかったので、備忘録としてシェアしておこうと思います。

 

なぜ同じ教科書を見てるのに、勉強が出来る子と出来ない子に分かれるのか

 

なぜ同じ物を見て学んでいるのに、結果が出る人と出ない人が現れるのか。

同じ教科書を見て学んでいるのに、勉強が出来る子と出来ない子に分かれるのか。

 

ボクなりの答えは「深さ」です。

 

 

この深さって言うのは、2種類の深さがあって。

1つ目は「疑問度」の深さ。

2つ目は「理解度」の深さ。

 

この2つの深さが違うから、同じ物を見て学んでも、結果が出る人と結果が出ない人とに
分かれるんだと感じました。

 

まず疑問度の深さってなんだ?

って話なんですが、ボクが中学のときに受けていた理科の授業がありました。

 

学生の頃の理科の授業で分かった、勉強ができる子の学習法

 

ボクはほとんど勉強をしなかったので、学校で学んだ内容をあんまり覚えていないんですが、実はこの理科の授業だけは、くっきりと覚えています。

 

 

何が違ったのか。

 

大半の授業は、教科書に沿って、授業を進めて行き、テスト範囲を補うための勉強のカリキュラムを作ります。

でもボクの中学のときの理科の授業は全く違くて。

 

教科書通りに授業を進めて行くのはもちろんなんですが、しつこいほどに、生徒に問題を出して来ていました。

 

その質問の出し方も少し変わっていて。

 

1人の子供に「h2とは何ですか?」って質問するのは当たり前にある事ですが、その理科の授業では、座席表を目隠ししてランダムに指でさし、当たった生徒が問題に答える。

そんな小テストが、授業中に10回以上あるのがこの理科の授業でした。

 

そしてその理科の先生は「だれに当たるか分からないから、自分に当たると思って考えろ!一度考えて、頭に「なんだろう?」と浮かべた上で、答えを知れば、きちんと記憶出来るぞ!」

そう付け加えて生徒に質問を投げていました。

 

授業中はとにかく眠くって机の上で横になっていたかったボクは、「適当に説明してるだけの授業でいいから、質問とか当てないでほしいわ。」

なんて思っていたのですが、自分に当たるかもしれないってことで、授業中に寝る事は出来ず、その理科の授業はきちんと起きていた記憶があります。

 

そして、このめんどくさかったはずの理科の授業が一番記憶に残っているんです。

 

この「一度考えて、頭に「なんだろう?」と浮かべた上で、答えを知れば、きちんと記憶出来るぞ!」

これがまさしく、同じ物を見て学んでも結果の出る人と出ない人が現れる原因の「深さ」なんです

 

 

 

例えば、ボクたちからすれば、「重力」という物があって、地球に引っ張られる力が存在してる。

って言うのは当たり前の話で、だれも気にもとめていないでしょう。

 

疑問にすら思わないから、リンゴが木から落ちても、「だから?」って感想です。

 

 

でもニュートンは違った。

 

「なぜ物は浮かず、地球に吸い寄せられるのか。」を

ずっと疑問に思っていた。

 

疑問に思っていたからこそ、木からリンゴが落ちたときに、「重力」という物に気づいた。

 

この疑問の深さが深ければ深いほど、理解したときに、「グッと」自分の中で吸収される。

この吸収率こそが「理解度」の深さ。

 

そしてこの理解度が深ければ深いほどそれこそが自分の力になる。

 

 

その為に、グッと一度自分の中で深く考える必要があるんです。

 

 

 

でも一方で、「物が落ちる」ということに一切疑問を持っておらず、疑問の深さが全くなかった場合、「重力」という単語を聞いても、一切ピンと来ないはず。

疑問度が深くないので、当然答えを聞いても理解度への深さは出てこない。

 

つまり同じ情報(=答え)を聞いても、理解度の深さは全く違うんです。

 

知っていると分かっている事は違う。その本当の意味とは。

 

ちょうどこれに似た事が、ボクのビジネス経験の中でもありました。

当時、資金がない中で、物販をしていた。

そしてどうにか少ない資金の中で、大きな利益と早い回転率を両立出来ないか考えた。

 

周りを見ても、利益と回転率は両立させている人はおらず、答えを聞く事は出来なかった。

 

 

そうやって、「どうすればいい?」「どうすればいい?」

と何度も自問して疑問度が深くなって行ったときに、自分なりの法則を見つけた。

 

そのときに「これなら行ける!!」って思った理解度は、深く、悩みに悩んだからこそ、一筋の光明のように感じました。

 

 

これが多分、手軽にすぐ見つけられていたら、そこまで追求しようと思わなかったし、「これなら行ける!」なんて自身さえ持てなかったと思う。

 

 

全ては疑問度=悩みの深さがあって、考えに考え抜いたときに、見つけられたからこそ、グッと理解度が深まったんだと思います。

 

 

 

一方で本気で悩み、解決する方法を探しまとう。

やっとの想いで答えを知れて、深い理解度で学ぶ。

 

一方で特に悩まず、答えだけ知る。

疑問にすら思ってなかったので、浅い理解度でパッとせず、すぐに忘れる。

 

どちらの方が、深い理解をして、身になったのかは明白だと思います。

これが同じ物を見て学んでも上手くいく人と上手くいかない人が出る理由です。

 

そして教材にお金を払う意味って言うのは、ココにあるんだと思います。

 

疑問度(=本気度)の深さを深める為に、物事へお金を払う

 

これは誰しもが言うし、そしてボクも思うことだけど、「痛みを伴わないことに、本気になりようがない。」

これに間違いは無いと思います。

 

疑問度を深くするために、お金を払い対価を出す。

そして「お金を払った=疑問度が深くなった」状態で、

学ぶから理解度が深くなり、本当に身になる力に変わる。

 

だから無料の物で情報をかいつまんだだけでは、ハナから疑問に思う事もなく、疑問に深さが無いから、答えを知ったときの理解度が浅くなり、理解度が浅いため、当然結果がでない。

そんな順序なんだと思いました。

 

 

終わりに

 

同じ教科書を見て学んでも、勉強ができるようになる子と勉強ができない子がいます。

その違いは「疑問、そして理解度の深さ」この違いです。

 

ただ単に、「地球には重力って言うのがあって、物は落ちます〜!」

って説明されても、事実として、「そーなんだ」と理解するだけ。

そう理解しても次の日には忘れているでしょう。

 

でも「なんで物は落ちるんだろう?なんで地球に引き寄せられるんだろう?」

そうやって考えて、悩んだ後に、「重力」という存在を知ったら、全然違う、理解度の深さと「アハ体験」が生まれます。

 

 

「疑問度の深さ。」

そして「理解度の深さ。」

 

この2つが同じ物を見て学んでも結果が出る出ないを分けるんだなって感じました。

 

それでは。