恥ずかしさって言う心理感情は、人間なら誰しもが持つ感情だと思います。
ボクは常々言っていますが、本来人間のポテンシャルって、計り知れない物です。
ボクは疲れた時なんかは、よく月を見上げて、「あそこいった人間がいるんだもんなぁ」なんて思いふけったりしますし、想い通りに行かないときなんかは、月を見ることで力をもらったりします。
地球から遥かに遠い星に行った人間がいるほど、本来ポテンシャルを持った存在ということ。
また人間の脳みそは、ほとんど使われていないという風に言われますが、あれってある本によると、脳みそを本気で使ったら、その人は死ぬから、脳を制御しているんだそうです。
ちなみに脳みそが、本気を出したときに死ぬ、その死因って何だと思います?
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答えは「餓死」だそうです。
「脳みそをフルで使うと餓死する」
一見するとホワッツですw
受験勉強をしたことがある人は分かると思いますが、頑張って机に向かい勉強すると、かなりお腹が減った経験があると思います。
そう。
本来脳みそを使うと、かなりのエネルギーを消費するんです。
脳みそをフルに使うと、一説では「原子力発電所1個分」のエネルギーを放出するので、カロリーが足りず、「餓死」してしまうそうです。
それぐらいの物をだれしもが耳と耳の間に兼ね備えているということ。
計り知れないポテンシャルをあなたは持っているんです。
ただ、そんな人間のポテンシャルを小さく押しくるめてしまうのが、「羞恥心」という心理です。
要するに恥ずかしさ。
「他人にどう見られているんだろう」
「ダサく思われたらどうしよう」
そうやって恥ずかしい気持ちを抱くと、脳が勝手にブレーキをかけて、ポテンシャルを狭めてしまう。
だから、本来の人間の能力を発揮するには、恥ずかしさという心理にどう対峙するのかが大切になってくるということなんです。
そんな先日。
ボクもめちゃくちゃ小さなことなのに、凄く恥ずかしくなった出来事がありました。
赤面するほど恥ずかった、とある出来事とは?
寒さも抜けて来た昨今。
暖かくなって来て、花粉も飛びはじめて、春に向かいはじめています。
(今年自分が花粉症だ、ということに始めて気づきました。めっちゃ目がかゆいww)
冬が過ぎ、温かくなって来たので、春服を買いに行きました。
「なんかジャケットが欲しいな」と思っていたので、普段買わないグレーのジャケットを
上下セットアップの物を買いました。
(GUで合わせて7000円。GUめちゃ安でしたw)
今ではほとんどスーツらしい物は一切着ていないので、若干スーツっぽい、このセットアップは逆に新鮮な感じです。
ただ、スーツ姿からよほど遠ざかっていたからなのか、試着のときには感じなかった、「グレーのスーツっぽいセットアップを着ている恥ずかしさ」
をめちゃくちゃ感じてしまいました。
なんていう心理的状況だろう?これ。
サラリーマンのときでさえ、「グレーのスーツ」を着たことはなかった。
スーツといえば、ほぼリクルートで買った黒スーツを着回していた。
それはお金もなかったし、買い回せなかったから、1〜2つのスーツをクリーニングに頻繁に出し頑張って使っていました。
そんなスーツ姿の人生だったので、「グレーのスーツっぽい上下」は、なんだかこっ恥ずかしさと、別に「ガッツリ仕事をする訳じゃないのに、スーツっぽい姿」とのギャップから、恥ずかしく感じていたんでした。
特に着る意味もないのに、スーツを着て町をプラプラするのって、めっちゃ痛く感じません?
大学生にあるようなノリというか。
起業してからは、服装や場所に指定はないので、何を着たって言い訳ですが、セットアップとは言え、かなりスーツっぽさがあるので、「スーツを着て町をプラプラする」レベルの
痛さがあるんじゃないか?w
って、恥ずかしくなってしまっていたんです。
しかもスーツでも着たこと無い、「グレー色」が拍車をかけている。
(ん〜。やっぱこの説明はムズい。。
あ!髪の毛を切った次の日とかのこっ恥ずかしさに似てるかもww)
恥ずかしいと感じる心理の原因
でもこれって結局、自分だけが思っている恥ずかしさだって、気がついたんです。
通りすがりの通行人は、ボクの仕事を知らない訳で、「スーツを着るべき理由」があると思って、見ている可能性もあります。
また通行人の方は、ボクの服装なんて、特段気にしていないでしょう。
ボクのセットアップをスーツだと認識しても、「仕事なんだろうなぁ」って感じで、特に気にも留めていないでしょう。
要するにボクは、1人で勝手に思い込んで、勝手に恥ずかしくなっていただけだったんです。
恥ずかしさの大半は、こういった「思い込み」です。
大半の人は、人に関心はありません。
また気に留めても、5分後には、すれ違っただけの人なんて覚えていません。
そう思ったときに、「人が自分のことを思っていると考えていた自分」にもの凄く恥ずかしくなりました。
まさしくこれを「自意識過剰」というんでしょう。
「自分だけが感じている恥ずかしさ」
「他人はそこまで自分を見ていない」
そう知った後は、別に自分がカッコイイと思って買った物だから、堂々と着たっていい。
そう思えるようになり、全く恥ずかしく感じなくなりました。
髪の毛を切ろうが、始めて合う人に取っては、髪を切った後か前かなんて、分かりません。
それと同じ。
だれかと比べる必要なんて全くない
恥ずかしさとは、「だれかと対比した自分」に感じてしまう物です。
対比する物や相手がいるから、劣った自分に恥ずかしさを感じてしまう。
だけど、感じている恥ずかしさって言うのは、そのほとんどが思い込みです。
ボクが始めてきるスーツっぽい、グレー色のセットアップを恥ずかしいと思ったのも、全てが思い込みで、勝手に自分だけが感じていた物でした。
そして恥ずかしさというのは、果てしないポテンシャルを秘める「脳みそ」の動きにブレーキをかけます。
すると能力を存分に発揮できなくなります。
別に着たいもんを着たっていい。
誰にどう思われようがどーでもいい。好きなことをやったらいい。
そう思います。
そのために、変な思い込みを無くすのが、恥ずかしさを克服する方法だと思います。
そんなことを、新しく買った洋服から感じました。
失敗は恥ずかしいことじゃない
後、恥ずかしいって感覚と密接に結びついてる行動って失敗ですよね。
この失敗という行為自体にも全く同じことが言えて。
僕は小学生の頃。
運動会で団長的なことをやったことがあるんですね。
そのとき、チームごとに掛け声を言い合うシーンがありました。
その掛け声って言うのも事前にセリフが決まっていて、練習の時からセリフを覚え、もうカンニングペーパーなしで声出しできる程でした。
ただ実際に本番では緊張してしまって、全くセリフが出てこず、運動会で大恥を描いてしまったことがあります。
それは、今振り返っても恥ずかしい失敗談なんですが、恐らくその事を覚えていて「あいつ運動会でセリフ失敗してたよなぁ」っていう同級生はほとんどいないでしょう。
失敗ってそんなもので、僕にとっては顔が真っ赤になるぐらい恥ずかしい経験ですが、他人にとって見たらどーだっていい事なんですよね。
先にも伝えた通り、人は思った以上に自分のことを覚えていないし、他人のことを見ていません。
失敗に関しても全く同じことが言え、運動会での失敗を未だに恥ずかしいと思っているのは僕だけなんです。
そう考えると、少し楽になると思うし、いい意味で吹っ切れるんじゃないかなって思うんですよね。
まとめ
少し長くなってしまったので、最後にまとめておくと。
恥ずかしいと言う感情は、自分1人で勝手に思い込んでいる可能性が高く、他人は思ったより自分のことを気にしていない。
失敗に関しても同様のことが言える。
また恥ずかしいと言う感情は、誰かと比較することによって明確になるケースがあるので、他人と比べないようにする。
まとめるとこんな感じですね。
ぜひ参考にどうぞ。