よく、「過去は変えられないけど、未来は変えられる」
そんな言葉を聞く事があります。
過去は変えられない物だから、過去をクヨクヨ嘆くのではなく、未来のために頑張るんだ。
そんな指針を促したのが、この名言です。
でも、ボク自身は全く違うと思っていて、「未来は変えられないけど、過去は変えられる。」
これが正しいんだと思っています。
それを示すある出来事が、先日ありました。
イヤで仕方なかった場所へ行ってみた
どんな出来事だったかって言うと、先日ふと思い立ち、サラリーマン時代に、営業で回っている地域に行ってみようと思ったんです。
サラリーマン時代に勤めていた会社は東京にあり、東京からさらに1時間ほどの場所が営業で回っていた地域。
自宅から計算すると、片道2時間ほどかかる場所でした。
会社を辞めてから何年も月日が経ったので、想い出の地を巡るために、電車に乗ったのでした。
久しぶりに下りた、その営業の土地は、全く変わる事はなく、数年前のときに見た光景がそこには広がっていました。
何年ぶりかに訪れたので、懐かしさがこみ上げて来て、「ぶわっ」と、感動した感情がよみがえって来ました。
ぶっちゃけ。
あの営業時代はあまり思い出したくなかったものだった。
「めちゃくちゃ怒られた家」
「何回インターフォンを鳴らしても出てこなかった家」
「営業を回りたく無くて、サボっていたスーパー」
「疲れ果てて座り込んだ公園のベンチ」
本当にいろんな嫌なことがあって、社会に出たてのボクには、苦痛が多くって。
かなり神経をすり減らしたサラリーマン時代だった。
意外と鮮明に覚えているもので、間違い探しをするように、懐かしさを噛み締めるように、営業で回った土地を巡っていました。
でも2時間ほど歩きながら、見て回った現在と過去とでは、全く違う視点で見ている事に気付いたんです。
ボクは感動していた
こうして営業で回っていたときと今見ている景色とで、全く違っていたのは、何年ぶりに見たその土地を、ボクは「感動しながら」見れたんですね。
「営業時代は断られるのがイヤで、ここでサボってたなぁ〜。」
「この家はお父さんが怖かったんだよなぁ〜。」
「ここって初めて契約したお客さん家だっ!!」
当時はイヤでイヤで仕方なくて、人が怖くも思えたこの場所も時が経って今見ていると全く違う景色に見えたんです。
さらに言えば、「あの時の経験が合ってよかったなぁ」とさえ思いながら、営業で回った土地を見て回りました。
確かに当時は辛くて辛くて仕方なかった。
お客さんに断られるのも、
足がパンパンになりながら歩くのも、
朝早起きして眠いながらに電車に乗るのも。
でも今になっては、「経験しておいてよかった」って。
何年ぶりに訪れたとき、そう思えたんです。
確かに、過去に合った事実は変えられない。
でも過去に合った事実への「解釈」は変えられる。
「今」が充実しているのなら、それは過去の経験が合ったからだと思える。
でも「今」が充実していないのなら、「過去の経験のせい」で「今」が充実していないと捉えられる。
今この瞬間に、何をやっているのか。
それがコレまでの道のりを示した、「過去」というものの捉え方を左右するんだ。
そう思った瞬間でした。
だから過去は変えられるんだ。って。
そしてこの会社を辞める時、ボクは「絶対に再就職はしない」と誓った。
これは会社に依存する事なく、1個人で生き抜いて行くことを示していました。
確かに、この時決めた想像からすれば、「想い通りには行かなかった」
間違った事もあるし、何度も失敗したし、予想していたよりも、時間はかかってしまった。
でも「決めた通りになった」
1個人で会社に依存する必要はなく好きに生きられるようになった。
これは「自分が選択した未来は変えられない」
つまり、自分が決めた通りに、必ずなるということ。
尊敬する経営者に言われた一言
「想い通りには行かないけど、決めた通りになる」
これは当時お世話になった社長に言われた言葉だったけど、本当にその通りなんだと思いました。
社長:「過去は変えられるけど、未来は変えられないって言葉あるじゃん。あれって実は真逆なの知ってた?」
ボク:「いえ。知らないです。」
社長:「いや、「本当は過去は変えられるけど、未来は変えられない」が真実なんだよ。」
社長:「過去っていうのはさ、今まで自分が何をしてきたかが過去になってる。そして過去っていうのは、その時の事実を覚えているっていうよりも、過去にあった事実への「解釈」を覚えてるんだよね。」
社長:「あの時楽しかった。あの時悔しかった。あの時悲しかった。だから過去って全て解釈の連続なの。」
社長:「つまり解釈だからこそ、過去への「解釈」は変えることができる。」
社長:「もし昔にめちゃくちゃ嫌なことがあっても、今が十分すぎるほど楽しかったら、過去があったから今があるんだなって、思えるじゃん?」
社長:「でももし今に不満があるなら、あの時こうしてればよかったなぁ。とかいって後悔する。」
社長:「だから過去って、今の状況によってコロコロ姿を変えるんだよ。」
社長:「でも一方で、未来っていうのは変わらない。」
社長;「夢とか目標っていうのは、「こうなる!!」って決めたら、絶対にそれに沿った人生になるんだよ。もっというと、諦めなければ絶対にその夢は達成できる。」
社長:「でも99%の人が、その夢を途中でやめるから、叶わない夢になって終わって行く。」
社長:「そんなことを言うと、「諦めずに続けててうまくいかなかったら?」って言う人がたまにいるんだけど、そんな人に言いたいのは「じゃあ、エジソンは電気を見つけるまで何回失敗している?」「リンカーンは初当選するまで、何度落選してる?」ってこと。」
社長:「何を目指すのか。そして諦めず続けられるのか。これで大方の人生は決まってくる。そして諦めなければ必ず道は進む。だから、未来は変えられないんだよ。」
そんな風に言われたことがありました。
当時のボクには、全くピンとこなかった。
その社長に会った時は、「何かを変えたい。」と強く願って居たから。
でも、今になって「過去は変えられるけど、未来は変えられない」って言う本当の意味がわかってきた気がします。
「学生って楽しかった」と大人になって思う理由
学生時代にも同じ事が言えます。
学生だった当時。
学校に通う事が、イヤでイヤで仕方なかった。
面倒くさいし、授業は面白く無いし、先生は億劫だし。
でも卒業してから、時間が経ち、学生時代を振り返ると、「あのときは楽しかった」と
思い返せる。
未来は変えられないけど、過去は変えられる。
過去に合った事実は変わらないが、過去に合った事実への「解釈」は変えられる。
そして未来は想い通りにはならないが、必ず決めた通りになる。
それは諦めない限り。
つまり辛かった過去も、消したいトラウマも、この先何を決めて、どう行動して行くかで、全く違った過去に変える事が出来る訳です。
ボクが営業の土地に、再度訪れたとき、オセロでひっくり返るかの様に、真っ黒な記憶が、真っ白な「想い出」へと変わって見えました。
未来は変えられないけど、過去は変えられる
「過去は変えられないけど、未来は変えられる」
そうではなく、今まであなたが行なって来た全ての過去が、今この瞬間のためだったと思える未来が必ずやってくる。
そのとき、過去への解釈は全く違って見える。
だから「未来は変えられないけど、過去は変えられる」んだと思います。
ですから、どんな失敗をしていたって、どんな過ちを犯していたって、仮に今が上手くいってなくたって、全く関係ないんだと思います。
これから先何をして行くのかが大切な訳で、過去への清算が付いたときに、失敗も過ちも苦悩も全てが「想い出」に変わる訳ですから。
そんな事を感じた、トラウマの地への訪問でした。
やっぱり未来は変えられない。
この記事を更新してからある程度の時がたちました。
んで。
この記事を改めて見返して、そして僕自身の過去を振り返っているんですけど、やっぱり過去は変えられるし、未来は変えられない(決めた通りになる)っていうことを痛感してます。
っていうのは、僕がサラリーマンだったころ、本当に夢だったのは「自由になっていろいろな土地に回ってみたいなぁ」というのが夢でした。
それは上記記事なんかでも深く触れているですが、今から数百年前。
江戸時代なんかでは、県と県と移動することさえできなかった。
(当時は藩ですが)
吉田松陰や坂本龍馬は海外にあこがれ海を渡ろうとするも、殺され海外を見て回ることさえできなかった
だけど今。
自由に国内や世界を回ることができる。
仕事をしているときは、職場と家の往復で、人生のすべてがそこにあるとさえ錯覚していた。
そんな経験があるからこそ「いろんな土地に行ってみたい。」「もっと自由な世界で生きたい」って思っていたんだと思います。
そして今どうなっているのか。
上記記事でも書いていますが、本当にいろんな土地に訪れた。
最近では記事にあんまりしていないんですが、今この文章を書いているのも沖縄ですし、去年に至っては
- 奈良
- 京都
- 大阪
- 北海道
- 岐阜
- 名古屋
- 東京
これだけ行ってきました。
しかも1泊2日とかの短期じゃなくて、その土地に1か月ぐらいずっと住んでいたりした。
まさにサラリーマンの時に思い描いていた未来がそこにはありました。
京都の世界遺産が17あることもその時知ったし、意外に夏の北海道が熱いことも行ってみて知れた。
やっぱり振り返ってみても「未来は変えられない。思い通りにはいかないが、いづれ決めた通りになる」というのを痛感せざるを得なかったと感じます。
やっぱり過去は変えられる
そしてね。
日本各地行っている経験をして、今になって「サラリーマンだった時」とか「当時苦しかった経験」っていうのが、「やってよかった」っていう過去になっているんですよね。
これって言葉で伝えるのがすごく難しいんですけど、でも過去は変えられるという経験を体現した経験をして。
この前沖縄の世界遺産の「中城城跡」という場所に行ったんですね。
で。
この中城城跡まで、住んでいる那覇から自転車で向かいました。
距離にして20キロぐらいあるんですが、地味に自転車をこいでいったんですよね。
平坦な道がずっと続いて、気持ちいいサイクリングだったんですが、中城城にまで近づくと、めちゃくちゃ山道になってきて、汗だらだらかきながら自転車押して進んでました。
そん時は「なんで自転車できたんだ」ってめっちゃ後悔したんですが、山道を超えて中城城について、上からの景色を見たとたんに疲れが吹っ飛んだんですよね。
海と山と町とが一望できる城の跡。
石段がめちゃくちゃ異世界な雰囲気を醸していて。
それでいて自然が豊かで。
もう一気に疲れなんてなくなりました。
この体験が僕のサラリーマンの時とすごくダブって見えました。
すごくつらかったし、人として扱われなかった時もあるし、ブラック企業で酷使されてきたけど、でもそれがあったから「今がある」。
つらい道のりを頑張って自転車でこいでたどり着いたから、見れた景色が輝いたのと同じで。
つらいサラリーマンの経験があるから、今の生活が本当に感謝できる。
そう思うとあの時の過去って「経験してよかった出来事」に変わるんですよね。
そう考えるとやっぱり過去は変えられるんだな、って改めて痛感しました。