ボクは極端にゲームが苦手です。
苦手と言うか、ゲーム自体は好きなのですが、全く上手くありません。
小さい頃、学校に1人は、おもちゃをいっぱい買ってもらえる、お金持ちの友人が居たと思います。
また、家ではゲームを買ってもらえず、そのおもちゃをいっぱい持っているお金持ちの友人の家にいって、ゲームを遊ばせてもらう子も、ある程度居たと思います。
子供の世界だと、ゲームを持っている子とゲームを持っていない子とで、若干のヒエラルキーが決まり、必然的に、ゲームを持っている友人が偉く、傲慢になって行きがちです。
ボクは紛れもなく、ゲーム機を買ってもらえず、おもちゃをいっぱい持っている友人の家に行って、その家でしかゲームが出来ない子供でした。
恵まれている家とかお金持ちの家をとやかく言うつもりは無くって、そのときはただ、
「おもちゃいっぱい持ってて羨ましいなぁ」と憧れの眼差しで、同級生の友達を見ていました。
当然、家にテレビゲーム機はなく、友人の家に行くことでしかゲームをすることは出来ないので、いつまでたっても上手くなることは無くって、ずっと周りの中でへたっぴなレベルでした。
それは今でもで同じで、ゲームは全然上手くありません。
(そのかわりトランプとか、誰でも持てる物は結構上手い自身がありますw
ただTVゲームなんかはめっぽうダメです。)
そんな状態で、全く家庭用ゲーム機なんかを一切持てなかったボクですが、最近PS4を友人とやる機会がありました。
いい年してPS4に触った結果
ボクが最後にやったゲームの歴史は、PS2で止まっています。
PS1とPS2は少しだけ、触ったことがあるのですが、PS3なんかは触ったことも無ければ
プレーしたことも無く、PS4に至っては、何が何だかよく分かりません。
家電量販店なんかで、「画質奇麗だなぁ」「めちゃくちゃ進化したなぁ」と他人事のように見ていただけでした。
それが友人宅で触ったPS4は、まるで映画の世界がそこにはあって、画質が本当にキレイ。
コントローラーも、ケーブルにつながなくていいことにもびっくりして、最近のゲーム機のレベルの高さを痛感しました。
そして子供のときに出来なかった反動なのか、「めちゃくちゃ楽しい」と変に感動しました。
これはヤバい。
コールオブデューティーというソフトをやっていたのですが、下手くそだけどめちゃくちゃ楽しい。
(ボクはその時始めて、存在を知ったのですが、どうやら有名ゲームだそうです。
それぐらいアナログでしたw)
PS4とスーパーの試食のとある共通点
これはもうビジネス的に当たり前かの様に取り入れられていますが、「試食」「お試し」「体験版」
このように、まずは手に取ってもらう、という戦略をどの企業も取り入れています。
アレの効果って絶大で、やっぱり凄い。
子供の時の試食なんか何にも感じなくって、「タダで食べられる」とだけ思っていた訳ですが、あれってかなり戦略的です。
子供が食いつくと、一緒に買い物に行っている母親は、子供が食べ終わるまで、必然的に立ち止まらなくては行けません。
子供が食べるまで待とうかと待っている間、手持ち無沙汰になるので、必然的に母親も試食に手が伸びます。
「食べてみて美味しい」のであれば、今まで興味が無かった物が、「買いたい」という気持ちに変わります。
極当たり前なんだけど、かなり意図的に組み込まれているのが、「試食」「試飲」「お試し」などで、その効果が高いから、どの企業でも取り入れるわけです。
フロントエンド、バックエンドなんかも「試食」「試飲」「お試し」これらから派生した物ですね。
ですから、今はどの企業でもやっている訳ですね。
まさしく友人の家でPS4をやっている自分は、この術中にまんまとはまり込み、「ゲームって楽しい!!」という感覚が、やり終わってからもずっと残っていました。
今まで興味が無かったのに、直後はそのことしか考えられない。
当たり前のようにやっているけど、威力は絶大。
そんなことを思いました。
大人がゲームにハマるは危険?
子供のときであれば、この「やりたい欲求」が溜まったモヤモヤ状態のまま終わりだと思います。
ただ今状況が全く違うのは、「買う買わない」の選択を持った大人になったことと、ゲームをプレイする時間が、ある環境ということでした。
子供のころなら親に願って、買ってもらうために全力を尽くすでしょうが、ボクはクリスマスプレゼントももらえなかった幼少期だったので、ゲーム機を買ってもらうという夢は
いつも儚く散って行きました。
でも今は、買いたいと思うのなら買ったらいい。
そんな子供の頃の夢を叶えて上げられる訳です。
別に大した夢でもないし、本当に些細なことですが、子供の頃出来なかったことを大人の自分が叶えてあげる。
それって素敵なことだと思います。
だから、友人の家でPS4を遊んだ次の日に、速攻でPS4を買いに行きました。
興味があるソフトは、コールオブデューティーの1つしか無いし、めっちゃへたくそなので、すぐに飽きるかもしれません。
単に趣味のためだけに、お金を払うのは、結構馬鹿げたことなのかもしれません。
でもボク的には全く問題ありませんでした。
それは、小さかった頃の自分へ自分が渡す、遅れて来たプレゼントだったからです。
子供は子供として、色んなしがらみの中でいきています。
親に門限を決められ、友人と遊べる時間も限られてる。
どこか遠くに勝手に行くことは出来ないし、行こうとしてもお金がありません。
ボクは周りに比べて、しがらみが多い方でした。
「大人になればしがらみは無くなる」
そう子供のときに思っていたのに、大人になって行けば行くほど、しがらみは増える一方でした。
多少なり仕事をするので、金銭的には余裕が出来るのかもしれません。
しかしその分支払が増えるので、好きに使えるお金=給料ではなくなります。
また金銭的に余裕があっても、以前のボクのように時間的余裕が、一切確保出来ない。
そんな大人も多いでしょう。
でも今は、YES,NOの選択肢は全部自分にある状態です。
どこかに勝手に行って怒られることは無いし、決められた門限もありません。
特段贅沢な話ではないですが、ボクに取ってのゲーム機は、小学生のときは大きな存在だったので、今になって買った時、「大人って最高だわぁ。」と、しみじみ思いました。
終わりに
「YES,NO」の選択権が自分にある。
これほど最高なことは無いと思います。
そんなことをPS4を買ったときに思いました。
これから家にこもって、PS4をしまくろうと思います。