副業は必ずしも、サラリーマン全員に必要あるのか。
そんな記事を拝見しました。
ぼく個人の意見としては、「副業をしたい人はやれば良いと思うし、やりたく無い人はやらなければいい。それは各自の自由」だと思っています。
お金がほんとうになかった
もう少し豊かに暮らしたい。もう少しお小遣いが欲しい。そう副業の必要性を感じたのなら、副業に取り組めば良いですし。
そこまで俺はお金に困っていないから必要性を感じないというのであれば、無理をしてやるものでもありません。
でもぼく自身は、お金に困った過去がずっと色濃く残っていたので、副業をやる選択肢しかありませんでした。
ぼく自身、数々の仕事をして来ました。営業マン、不動産、映像助監督、、
特に映像助監督の時代はスゴく、映画の世界って独特の世界感の中で動いています。
プロデューサーがいて、ディレクターがいて、カメラマンいて。その中に助監督がいる。
助監督とはADのこと。テレビのADは寝る暇もないという風に揶揄されますが、映画界のADはその倍以上あるかと思えるほど、自分の時間がありません。
もちろん決まった撮影期間を過ぎれば少し時間が空きますが、撮影期間になったら3時間睡眠の中半年以上、同じ撮影現場に入ります。
その上で、ちょろっと聞いたことがあるかもしれませんが、ADの存在は「人間以下」
そんな扱いを平気で受けます。さらに、存在はみならい期間なので、給料は月5万円ほど。明らかに生活出来ないレベルの給料でした。
もちろん業界や所属なんかによっても給料形体は違うのでしょうが、これがぼくの中の現実でした。
他の職業でも、多少なり給料に上下はあったもののに一環して共通していたのは「お金が足りない」ということでした。
世の中お金じゃない。
そんな意見もあるかと思いますが、ぼくは「お金で解決出来ることの方が遥かに多い」
そして、「お金で困ることの方が、尚更多い」そう思います。
こういったお金に困っていた経緯があるからこそ、ぼく自身は「副業の必要性」をものすごく感じたし、自分で稼ぐしかなかった。
さらには両親は自己破産しているので、よりお金の面をシビアに捉えていたんだと思います。
日本は50年以上ずっと不景気
よく「バブルの頃はよかった」
そんな意見を耳にすることがありますが、実際に国が出しているデータでは、高度経済成長以降、ずっとサラリーマンの給料は衰退しています。
バブルの頃は、多少経済指標としてグラフが上向きになりましたが、大きな時代の流れで見ると、50年以上も右肩下がりです。
日本は経済大国だから。そう安心しきっている人もいますが、GDPも中国に追い抜かされ、インドなどの発展途上国もメキメキ頭角を出して行きている。
そんな衰退気味の状態で、給料アップが見込めるのかといえば、ぼくは何もしなければ給料が上がって行くとは思えませんでした。
その為、なんとか政策で経済を回復させよう。
アベノミクスとかいって、色々な施策をしています。
でもそこら編の横文字よりも、ぼくらにとって一番気になるのは「自分の財布が膨らむかどうか」
結局、色んな施策をしても、○○業界、輸出企業、といった大きな枠組みが多少なり影響を受けるだけで、肝心な末端には回ってこなかった。
ぼくらの周りで、アベノミクスで潤った。という人は皆無でした。生活もほとんど変わりませんでしたし。
アベノミクス最高!なんてこれっぽっちも思いませんでした。というか、「結局なにやったの?」って政治のことはよくわからないので、どんな改善策をしたのかさえ知らない状態。
そう考えると、自らが稼ぎ場を作る「副業」という物に取り組んだ方が、何か施策に頼るよりもよっぽど自分の財布の身になる。そう思います。
その証拠に、ミャンマーという国では、国民全員が副業の必要性を感じ、副業に取り組んだ結果、国民皆が豊かになって行っているそうです。
賃金も安く、給料も見込めない。そこで、国民一人一人が、副業を持つようになり、国が調査した平均賃金を上回る生活ぶりをミャンマーでは見せています。
中田英寿がアナザースカイに出て、ミャンマーに訪れたときに放送していたので、気になる方は見てみてください。(ぼくは中田英寿が好きなので、それが理由で見てました。笑)
ただ、一番最初に伝えた通り、全員に副業の必要性を進めるつもりはありません。
お金にそこまで困っている状態ではない人もいるだろうし、「副業」という言葉自体に嫌悪を頂く人もいると思いますから。
「やりたい人はやればいいし、必要性がないのであればやらなくて良い」これが一環した意見です。
ただぼくが一番疑問に思うのは、なぜ副業と聞くと「アングラな悪いイメージ」を持つ人が多いんでしょうか。
それがぼくにはよくわかりません。
もっと評価されるべき副業集団
例えば会社の同僚で、「おれ副業やっているんだよね」そう聞かれると、何だか怪しい気がしてくる。
でも、「おれ給料アップの為に、資格を取ろうと思って勉強しているんだよね」そう聞かれると、何だか努力家な気がしてくる。
実際には、勉強しただけで、評価してもらえるのは学生だけ。社会に出れば、「何が出来るか?」の一択を問われます。
資格をただ持っているだけでは、何の意味も持たないし、「資格を有して何が出来るの?」
これが一番大事なポイントです。
そう考えると、副業で稼いでいる=個人でも稼ぐ力がある。と必要性を評価されるべき人は、「副業で稼いでいる」人になるはず。
でも、会社で副業自体を禁止されていたり、アングラなイメージがつきまとっているから評価されるに至らない。
それがスゴく残念です。
お金の動き、流れ。ビジネスの全体像の把握。ビジネスモデルの研究。市場調査、リサーチ。マネタイズ。マーケティング。
お小遣い程度を稼ぐには、これらの知識は必要性としてありませんが、相応に稼ぐとなれば絶対に知っているレベルです。
となれば、「ポイッ」と社会にたった1人で出された時、1人で行きて行けるのは副業で、いや個人で稼いだことのある人物。
だから本来は評価されるべき必要性があるべき存在。そう思います。
仮に、副業で稼ぎまくる人が集まっている会社。
そんな会社が存在するのであれば、なにやらヤバそうな臭いがします。
と言うか実際にヤバいと思います。
よく経営者は、「自分がもう1人いればどれほど助かるか」
そうたらすことが多いですが、副業集団とは、自らが意思決定をし、自らが行動指針を固めることが出来るエキスパート集団。
誰かの言う意見を行くことで、行動出来ない人とは訳が違います。
ともなれば、生産性は遥かに高い会社でしょう。(ま、副業で稼げていれば会社で働く意味はないので、あり得ない仮説ですが。)
だからと言って、会社内でむやみに自慢する必要はありませんし、アングラならアングラらしく裏で稼いだ方が良いですね。
(多分、この裏で稼ぐっていう行為が、アングラらしさを生むんだろうね。笑)
でもお金のことを、無意味に嫌っているそうもいるので、むやみにやってることさえも公表する必要性はないと思います。
でも真っ裸になったとき、何が出来るといったらやっぱり1から稼いだことのある人材だと思いますね。
だから副業の必要性は「やりたければやったら良いし、必要性を感じないのであればやる必要ない」
好きな方を選択するのが一番良いんだと思います。
終わりに
副業の必要性について、ぼく個人の勝手な偏見をお伝えして来ましたが、それはぼくがお金にものすごく困っていた過去があるからでした。
美容室を営んでいた両親は、ぼくが大学生の頃に倒産。そして自己破産へ。
当然大学にのうのうと通うことは出来ないので、中退し社会へ。
だから、その当時は「お金」という単語さえ、忌み嫌っていました。
もっとお金があれば大学に通えたし、もっと豊かに生活出来た。
お金が欲しいけど、「ない」からこそ、忌み嫌うしかなかったんでしょうね。でも、お金と向き合うことで、決して汚らわしいものではないことを知りました。
単なる偏見でしかなかったと。
無意味に嫌うことなく、フラットな目線で見ることが大事だと思います。