周りの目が気になる。って方って結構多いと思います。
ボクの得意なジャンルのせどりでも「店員さんの目が気になる」って方も中にはいるし、副業でも、まだまだ認知度が低いからこそ「怪しい」と思う方も多く、そんな怪しいものをやっているのか。
って周りの目を気にする方もいらっしゃる。
ただボク自身も周りの目が気にならなかった訳じゃなくって、結構気にしいな性格でした。
というか、かなり。
でもあるときに、周りの目が一切気にならなくなったのでした。
それはとある経営者の方から言われたたった一言がきっかけでした。
臆病営業マンが周りの目を気にしてた結果
当時ボクはまだサラリーマン。
飛び込み営業をしていたその頃。
ボクはインターホンを押すことが怖くて仕方なかった。
と同時に恥ずかしくもあった。
なんか「営業」ってこと自体、当時は「いらない物を売っている」なんて思っていたし、必要の無い物を売っているボク=必要とされていない人。
そんな風に思っていました。
インターホンを押して、営業をして、断られた家の、隣の家なんかは「変な噂が回ってるかも」と思い、敬遠して営業をすることはありませんでした。
また家から出て来てくれて、ボクの話を聞いてくれていても、隣の家の人が帰って来たら、「隣の家の奥様、営業掛けられてるわぁ〜」なんて思われていそうで、凄く恥ずかしい行為をしているって思い込んでいました。
通りのすがりの目を気にして、
隣の家の行動を気にして、
自分のやっている仕事を気にして、
恥ずかしがっている自分を気にして。
兎にも角にも、上からだれかが見ているのか?
ってぐらい周りの目を気にしていました。
そんな状態だったので、当然営業も取れるはずも無く。
ビリに近い成績がずっと続きました。
自身が無いことなんて分かりきってるよ。
近しい先輩に相談しても返ってくることは、「営業って恥ずかしい仕事じゃないから、
周りの目なんて気にする必要ないよ」そんな、どこかで聞いたような言葉が返ってくるだけだし、
「周りの目を気にするのは自身が無いから何じゃない?」
なんて図星過ぎて、どう解決すれば良いのか、わからない言葉さえ返って来ました。
確かにその通りなんだと思う。
周りの目を気にするのは、自身が無いからこそだし、今になって思えば、営業だって立派な仕事。
でも当時は思えなかった。
自信を持てって言われて、すぐに自信を持てるなら、だれも苦労するはずも無く、飛び込み営業で地域を回るボクに取って、その地域の人達の目は気にしないようにはできない。
いらないものを売っているボク=いらない存在。
そんな営業の存在意義を、覆すほどの結果も出せていない。
周りの目を気にしないなんて、ボクから目と耳を取らない限り、ボクの性格上あり得ない、なんて思っていました。
そんなときに、当時ボクが唯一信頼出来た社長の元へ相談に行ったんです。
「周りの目が気になるし、営業としても自身が持てません。
ボクは営業の仕事には向いていないと思います。
どうしたらいいんでしょうか。」
そんな言葉を社長に投げかけました。
ある種、暴言的な言葉で、社長のせいでは全くなって。
完璧にボクの性格の問題でしかないのに、社長は意外すぎる言葉を返してきました。
ある経営者が語ってくれた周りの目を気にしなくなる言葉に唖然
「もしさ。キミが地元の駅でセーラー服を来て、ダンスを踊れって言われたら踊る?」
ボクは一瞬固まりました。
何を言ってるんだろうこの人。って。
「いえ。踊りません。」
ボクは率直に答えました。
すると社長は「じゃあ、セーラー服で地元の駅で踊ったら月100万円あげる。それだったら踊る?」
そう返して来ました。
ボクは一瞬悩んだものの、やっぱり100万円もらえても、駅に通る人達の目だったり、地元の駅ということで、知り合いが通る可能性を考えたら、恥ずかしくて、周りの目が怖すぎてやっぱり答えは変わりませんでした。
「いえ。踊れません。」
ボクがそう返すと
その社長は、
「俺だったら100%踊るね」
そう言いきりました。
「オプションとして、パラパラを踊っても良いし、歌のサービスもいれちゃうかも。笑」
そんな風に付け足しました。
「キミがね。
なんでもいいだけど、何かの分野に成功したいと思うなら、絶対に覚えておいた方が良いことを教えといてあげる。
人の気持ちって、やる気、本気、死ぬ気って3つの段階があるんだよね。
やる気がありますって言って、入社志望する人はいるけど、本気じゃない。
僕は本気で成し遂げます。って面接に来る子もいるけど死ぬ気じゃない。
大抵の人はやる気はあっても、心では頑張ろうなんて思っていないんだよね。
で。
この話をすると大抵は「私は死ぬ気で成し遂げます」
って言葉が返ってくる。
でも皆死ぬ気なんて無いんだよ。
この日本で普通に生活してて、死ぬことなんて滅多に無いし、死ぬ気で頑張って、死んじゃうことなんてあり得ない。
じゃあ、「死ぬほどやる気」って何を指してるかって言うと、死ぬほど【恥】を味わう
覚悟があるかどうか。
これなんだよ。
さっきセーラー服を来て地元の駅で踊ったら100万円あげる。って言ったのは、死ぬほど周りに恥をさらして、それでも成功したいって思ってる?
ってことを確認したかったの。
大体の人は出来ないって言う。
でも成功する為には、周りの目を気にしてたって絶対になし得ることは出来ないし、成功する為には、死ぬほど恥をかいて、死ぬほどプライドが折れる体験をすることもある。
それを乗り越えるからこそ、人は成功するんだよ。
だから「死ぬほど恥をかく覚悟があるの?」
ってことを聞いたの。
それに比べたら、セーラー服で踊ることを絶え抜いたとしたら、たった1ヶ月で人生なんて
ごろっと変わるし、お金以上のものを手にしたことになる。
何年も恥をかくことを恐れて、周りの目を気にして、なぁなぁに過ごすのと、1ヶ月本気で死ぬ気になって、恥をさらして、人生変えるのとどっちがキミはいい?」
そんな風に社長に言われたときに、ボクは頭を金槌でカチ割られた感覚でした。
この言葉がボクを周りの目から解き放ってくれた
確かにボクは、自分の殻の中で思い込んで、恥をさらさないで上手くいく方法を探してた。
なるべく自分が傷つかない方法で、上手くいこうとしていた。
だから絶対にセーラー服を来て地元の駅で踊るなんて、いくらもらっても絶対にやりたくない、って思ってた。
でも、色々考えたところで、周りの目は無くなる訳じゃない。
それは周りの目は自分自身が勝手に作り上げた目だから。
周りを変えても、自分が変わらなければ、他人の目が気にならなくなることはなくならない。
その自分が勝手に作り上げた「周りの目」を見えなくするのに大切なのは、周りの目を恥と思えなくなるぐらい恥を体験すること。
それほど恥を死ぬ気で覚悟して、取り組むこと。
なにかに恥じて、周りの目を気にしているうちは、死ぬ気でなし得ようとしていないんだ。
死ぬ気でなし得ようとしていないからこそ、周りの目が気になるんだ。
そう思ったんです。
この言葉を社長から聞いたその時、ボクの中で何かが吹っ切れ、「何を小さなことで悩んでいたんだ」「何を小さな恥でクヨクヨしていたんだ」と、
衝撃を受けたのを覚えています。
次の日からは、インターホンを押すことが怖くなくなり、営業しているときに、隣の家の人の目が気になることは無くなり、多少なにか思われていようが、「だから何ですか?」
と思えるような気持ちになっていました。
ボクがトップセールスマンになれたのは、それから3ヶ月後のことでした。
終わりに
多分ボクがあのときのまま周りの目を気にして、恥をかくことを恐れ、死ぬ気で取り組んでいなければ、絶対にトップセールスマンになることはなかったでしょう。
営業していること自体恥ずかしかったし、営業マンという仕事でさえ、周りの人には気にしてあまり言えなかった。
そんな奴がトップにまで上れることはなかったでしょう。
「周りの目が気にならなくなるぐらい死ぬ気で恥をさらせ」
この言葉が、今のボクを作っていると言っても過言じゃありません。
そしてこの言葉が、ボクを「周りの目」から解き放ってくれた言葉でした。
周りの目を気にしすぎてしまう。
そんな人は多いと思います。それは以前のボクの様に。
そんな方へ。
「セーラー服を来て、地元の駅で踊れますか?」と、
そんな言葉をかけてあげたいなって、今になって思います。
それでは。