鈴木裕著:無(最高の状態)を読んだ辛口レビュー

今回はタイトルにある通りなんですが、鈴木裕さんの著書:無(最高の状態)を読んだので、ざっくりとまだ読んでいない人や、これから読もうとしている人のために要約していきながら、読んだ感想とレビューをしていこうと思います。

先に結論から言ってしまうと、この本めちゃくちゃ面白いです。

鈴木裕さんの本は結構読んでいたりしますが、鈴木裕さんの本自体あんまり難癖付けれないというか、首長と裏付け、後は参考文献がしっかりしているので、そこら辺の信用は他の追随を許さない。

加えて今回は結構哲学者や仏教の人の言葉、科学者なんかの名言なんかも引用されていて、結構主張や裏付けが幅広く、その点でも楽しめる本かなっていう感じがします。

後は、当然ですが本のタイトルにある通り「人の苦しみはどうやったら取り払えるのか?」という部分に対しても、明確な答えと納得できる根拠がそこにはある。

だから「悩み」を持つ人が、これから悩まないようになりたいと思うんだったら、この本をまずは手に取るべきかなっていう風に思います。

要約

じゃあさっそく。

まだこの無(最高の状態)を読んだことの無い人もいると思うし、これから読もうとしている人もいると思うので、ざっくりと要約していくと。

人というのは、ポジティブな感情を感じづらいという風に、冒頭でまず話されます。

それはホモサピエンスである私たちは、常に外的と隣り合わせだったため、生きるためには「ネガティブな要素」というものを、常に感じ取り、その変化に敏感でなければ生存競争に負けていたため、という風に話されます。

つまりどういうことかっていうと、僕ら人間というのは「幸せを感じづらく、不幸を大きくとらえる性質を持つ」ということなんですね。

まずこのスタートラインが全然他の本と違っています。

よく言われることですが、日本人と西洋人との遺伝子の違いに「ポジティブに感じる遺伝子」と「ネガティブに感じる遺伝子」とが存在し、日本人の多くは「ネガティブに感じる遺伝子」が多いとされています。

だから、日本人は西洋人に比べて、保守的で失敗を恐れる傾向にあるということが報告されていたりします。

ただ、そんな前提よりももっと根底には、そもそもホモサピエンスは「ネガティブを感じやすい」ということが前提にあり、西洋人がポジティブであるというのは、ほぼほぼ微々たる差であるということ。

ここで古代の人の言葉を引用し「生きることは苦しみを味わうもの」という古代の名言を引用されていたりします。

最初から「おいおい、大丈夫なのか」っていう感じがしますが、逆に言うと「皆ネガティブである」っていうことから、勇気をもらえる人も多いんじゃないかなって思うんですよね。

さらに話は続いてて。

人間とかなり近しいチンパンジーの話が出てきます。

この話がめちゃくちゃ面白くって。

このチンパンジーは、半身不随になってしまい、自身の力で歩けなくなってしまうという現象を患います。

人間であれば、歩けないと知れば死にたくなるだろうし、そのショックから抑うつ症状や神経症的傾向が表れてもおかしくないようなメンタルショック。

しかしこのチンパンジーは、ショックを受けるどころか、その後何事もなかったようにリハビリを開始し、半年~1年後には驚異の回復力を見せ、自力で歩けるようになっていったんですね。

この話が、この無(最高の状態)という本のタイトルに大きくかかわってきます。

どういうことか。

僕ら人間というのは、起こった現象や症状に対して、未来や過去といったものを想像できてしまうもの。

サピエンス全史なんかでは、ホモサピエンスは認知革命によって、虚構を生み出すことができるようになったため、ヒエラルキーのトップに立てたとさえ主張しているぐらいですから。

要するに、「あることないことを想像できてしまう」ということが人間の最大のメリットであるデメリットでもあると。

逆に知力があるチンパンジーやゴリラであっても、「目の前で起こっていること」は認識できても「過去や未来」といった今起こっていない出来事を認識すること、言葉にすることは出来ないんですよね。

そして、苦しみというののほとんどは「未来や過去」といった、虚構によって大きくその痛みを増幅させてしまうことが原因であるわけです。

本書では2の矢3の矢という表現で伝えられていますが、先ほどのチンパンジーの例で言えば、半身不随になった出来事の時、チンパンジーの脳の部位で「痛み」を感じる痛覚は人間と同じように活性化していました。

要するに、痛みは当然チンパンジーも人間も感じるわけです。

ただ、それ以上でもそれ以下でもないのが、チンパンジー。

目の前にある現実がすべてなわけです。

その一方で人間は半身不随になったことを将来や過去に結び付けて、「なんであんなことをしてしまったんだ」「あの時、あの道を歩いていなかったらこんなことにはならなかった」「なんで私だけこんな悲惨な人生なんだろう」

というように、過ぎ去った過去や未来と結び付けて考えてしまいます。

まさにこれが2の矢、3の矢で、ほとんどの苦しみというのは1の矢で苦しいのではなく、2の矢、3の矢によって、苦しみを継続して自らに与え続ける現象が、悩みや苦しみを大きくしてしまう要因だとされています。

これを心理学で「反芻思考」と呼びますが、この反芻思考が多い人ほど、神経症的傾向が強かったり、うつ病を患いやすかったりするということが分かっています。

つまり、メンタルが強いということや苦しみを感じないようにするためには、1の矢は防ぎようがないので、むやみやたらに自分を傷つけすぎないようにするために「2の矢、3の矢を止めること」が一番重要だということが言えるわけですね。

その2の矢、3の矢を止め、起こった出来事のみに注力する。

まさにチンパンジーのように、半身不随になってもそれを受け入れ前に進む力を手に入れる。

このための方法が、無(最高の状態)がこの後詳しく描かれていくわけです。

感想とレビュー

ってな感じで、ざっくりとではありますが、無(最高の状態)の冒頭部分の要約をしてきたわけですが、正直この後からめちゃくちゃ面白くなっていきます。

後半部分は、結構ノウハウというか科学的なエビデンスを元に、どうやって無(最高の状態)を作り出すのか?っていうことが描かれるんですが、その前の「自己とはツールである」っていう認識もかなり興味深いところだったりもする。

正直この事故の認識に関しては、一回読んだだけじゃちょっと理解に苦しむ部分であり、何回か読むことで理解ができるようになる箇所だと思います。

個人的には、結構近しい思想を最初から持っていたので、考え方自体はすんなり理解できましたが、所見の人はどこかに抵抗を感じてもしょうがない部分かなっていうのが自己の解釈の部分だったりします。

でもやっぱりここが面白い。

スポーツ選手のいわゆるフロー状態はこれに当たる。

例題としてテニスの話を本書ではされてましたが、世界は脳が作った趣味レーションの中を生きているとかね。

これだけ聞くと、めちゃくちゃフィクションっぽいんだけど、それもそのはずで、全て見た聞いた出来事を脳に情報として渡したうえで処理させると、膨大なエネルギーを消費します。

そうしないために、先に想像しうる未来を脳が作り出し、例外の部分だけを更新し、現実世界との照合を行う。

脳は節約し、現実を反映させているわけです。

しかもこのシュミレーションを脳が映像として作り出すまでに、わずか0.1秒しかかからない。

だからこそ、毎日見ているはずのスマホの画面は全く覚えていないし、「スマホの一番上の一番右のアプリは何?」って言われても思い出せない。

これはいわゆる「脳が作り出したシュミレーションの中を生きている」という一つの省名だったりするわけですね。

ここら辺の話もめちゃくちゃ興味部下いです。

後、世界一幸福な部族の話もめちゃくちゃ面白い。

チンパンジーの話とすごく共通する話題が多くって、世界一幸福な部族はなぜ世界一幸福なのかというと、過去や未来といったものをあらわす単語がそもそもないっていうのが驚きで。

部族とはいえ、ホモサピエンスだから、虚構を生み出しそれを仲間に共有することは出来るはずです。

しかしその部族は文化によって、言葉から虚構を排除した。

だからその部族には、今目の前で起こっている現象を表す言葉しかないわけです。

先ほど伝えたチンパンジーにように、半身不随になったけど、それ以上でもそれ以下でもない。

だからこそ、それ以上落ち込むこともなく、次の日になれば忘れてしまい、いい意味で現実を受け入れる。

その現実を受け入れたうえで、前に進む。

この世界一幸福な部族の話はめちゃくちゃ面白いし、考えさせられることが多いなって感じがしましたね。

後、このブログを読んでいる人の中で無(最高の状態)ってどんな状態なんだろうっていう風に思う人もいると思うので、本書の内容を少しだけ伝えておくと。

抵抗しないことっていう部分もめちゃくちゃ面白いなって思いましたね。

当然ですが、川に逆らって泳ごうとすると、めちゃくちゃ体力を消費する。

逆に川に逆らわずに、流れに沿って行くと、まったく体力を消費しない。

辛さや苦難、悩みというのも全く同じで、無駄な抵抗が余計な悩みを生む、と本書では語られています。

そうじゃなく、最後の部分で紹介されている言葉を引用すると「停止と観察」が重要である、と。

辛いこと(=1の矢)というのは、だれにも止められない。

クジラやサルなどにも、身内が無くなると、そのことを認識し、悲しいという感情があることは知られています。

(クジラは家族が死ぬと、家族の亡骸と一緒に泳いで弔うそうです)

ですから、生き物であれば1の矢は止めることは出来ない。

ただ、人間以外の動物は2の矢、3の矢を繰り返すことはしない。

いわば、川に逆らわず、ありのまま生きている。

それが反芻思考を止めるということであり、反芻思考を繰り返さないということで、川の流れに逆らわないということ。

2の矢、3の矢を自分に向けそうになったら、一度停止しその状態を観察する。

まさにこの部分が、後半のノウハウで語られているわけですが、「苦しみに抵抗しない」っていうのは、かなり奥が深くって考えさせられる言葉だなっていう風には思いましたね。

本当にここで紹介しきれない、面白い話がめちゃくちゃ出てくるので、この無(最高の状態)はぜひ読んでほしいっていうぐらいおすすめできる本だなっていう風に思います。