僕はサラリーマンに向いていない人なんだと悟った。

 

さて、先日友人と海沿いを車で走っている時に、もっぱら話題になったのが、「俺らってサラリーマンに向いていないよな」と言う話題でした。

二人とも、独立して起業した物同士ですが、今振り返ると本当にサラリーマンに向いていなかった。

 

 

もしかしたら、今現在サラリーマンだけど、向いていないんじゃないか。

そう思う人もいるかもしれない。

 

だけど、向いていなくても全く不自由なく生きて行く事は出来る。

そんな事を伝えたいと思います。

 

 

サラリーマンで嫌だったこと

 

起業仲間とドライブ中の車内。

 

「何がサラリーマン生活で嫌いだった?」

そう聞き合うと、

 

そもそも定期的に、朝を起きる事が出来ない。

まぶたが重苦しい、あの感じがとても苦手。

やっぱり第一に出てくるのは、早起きの問題。

 

友人も、朝起きられなくて、ほとんど毎日かの様に、遅刻してたわ。

そう言う意味で言えば、マジでポンコツだったと思う。笑

なんて言っていました。

 

後、始業が9時開始なのに、8時頃には出社していなきゃ行けない。

っていうよくわからんルールさえ存在する。

これがマジで意味分かんないわな。と意気投合していました。

 

 

新人だったり、新入社員だったりすると、朝は先輩より早くて来てなくちゃ行けない。

でも、当然残業代は付かない。

ただ働きでしかない、無駄なあの時間。

朝の1時間がどんだけ大事か知ってんのか?って本当に聞きたくなるレベルでした。

 

 

僕自身は、サラリーマン時代、雇われている立場と言うのを理解していたつもりなので、会社から給料をもらうのであれば、言われた事は守る様な律儀な側面も。

ただ僕の友人は、思った事はバシッと言う性格なので、意味の分からない、始業前出社に関しては、全く守らなかったと言う、強固なメンタル。

そのおかげで、かなり怒られどやされたらしい。

 

地獄の通勤電車

 

また、サラリーマン生活で、欠かせないのは、「電車」

多分、ってかおそらくですが、電車通勤が無ければ、まだサラリーマンを続けてたかもなぁ〜って2%ぐらい思います。

それぐらいサラリーマン向いてない!!って思いを強固にした存在が通勤電車でした。

 

マジであれは残酷。

押して押されて、もみくちゃにされて、吹き飛ばされるは押し込まれるわで、正気の沙汰じゃねぇ。

 

友人には若干疑われましたが、通勤電車の朝。

新宿からJRに乗った時、ブザーが出発の合図を鳴らしているのに、溢れんばかりの人で、なかなか出発出来ずにいました。

既に僕は乗車していたのですが、どんどん人が流れ込んできて、人にもみくちゃにされた結果、最終的に体が浮きました。

 

「嘘だろー!!笑」

なんて疑われましたが、東京の電車ではあり得る話です。

それぐらいあり得ない乗車率と、サラリーマンとの密度。

 

 

その中でも、一番電車で驚いたのは、また新宿駅からJRに乗り継いだときの事。

ブザーが鳴っていて、まだ乗れていなかった僕は、階段を駆け下り、出発直前の電車に乗り込もうとしました。

なんとか出発までに間に合い、いざ乗ろうとすると、既にドアから溢れんばかりの人。

 

表面張力のおかげで、人が乗れてるんじゃないか?

 

って思えるほど、既に満員なんです。

んで、駅員に押し込まれて、やっとの想いで乗りました。

ただ、それからも、僕の後続の人達がドドッと入って来ます。

 

押し込まれて、前が見なくなり、気がついたら電車の中腹、つり革部分にいたんです。

 

 

分かります?

この驚愕さ。

 

 

もう僕が、乗り込もうとした時には、既にパンパンな状態で、普通なら乗り込む場所が無いレベル。

そこから押し込まれて、ようやく乗る事が出来たのに、そこから更に押し込まれて、入り口付近にいた僕が、つり革部分の中腹に、押し込まれていたんです。

 

「いや。もう入る所無いぞ?」

そんな状態から、何十人にも人が入ってくる。

 

 

スーパーなんかで、袋詰めのセールありますよね?

ビニールの袋に詰めたジャガイモは全部均一の値段みたいな。

 

んで、がめついおばあちゃんは、袋を無理矢理伸ばし、伸び切って、テロッテロな状態にしてジャガイモを詰めに詰める。

まさに人間がジャガイモ。袋が電車。

そんな状態でした。

 

ある意味これに耐えているサラリーマンって凄いなって。そしてそれに耐えられなかった俺たちってマジでサラリーマンに向いてないな。

そんな意見で一致しました。

 

死の残業宣告

 

また、僕なんかは、上司から言われた事をなかなか断れない性格にありました。

 

「今日残業2時間な」

なんて言われたりすれば、「はぁぁ。」なんて言いながら、受けちゃったりしていました。

ある意味評判とか、評価を裏切らない様に、他人の目を気にする性格でもあったんです。

 

その点、友人は破天荒で、ちょっと就業時間が遅くなれば、「もう帰ります」って言って、他人の目を気にする事無く、帰っていた様子。

ただ、現場に出向いた時、取引先の発注待ちで、車内で連絡を待たなければ行けないときががあったみたい。

 

現場は会社までも遠く、連絡を待ち作業をして、会社に帰り日報を出せば、優に3時間以上は残業になる。

それに耐えられなかった友人は、「すんません。もう上がります」「家には電車で帰るんでもう良いです」

そう言い残し、帰ったそうな。

 

すげぇ。。

 

絶対に僕なんて、言う勇気はなく、時間は残業しました。

 

間違いなく、「そいつはサラリーマンに向いていない。笑」そう言うと、

 

俺も向いていないと思う。我慢とか無理だったもん。

と帰って来ました。

 

彼は、エリートサラリーマンならぬ、エリートサラリーマン向いてないマンです。

 

 

社会不適合者が生きれる社会

 

多分ここまで聞けば、社会の歯車で上手く波長を合わせる事が出来なかった。

大衆が我慢しているルールを守れなかった。

いわゆる社会不適合者だと思います。

 

そんな人間が行き着く果てはニートかすねかじり。

 

親のすねをかじりすぎて、足ごともらってしまうほどの、サラリーマン耐性の無さでしょう。

それぐらいサラリーマンには向いていなかった。

 

 

だけど、僕も友人も、独立してわずか1人で、何も問題なく稼いでいます。

そしてその稼いだ額で、何不自由なく暮らせている。

 

僕の友人で、何浪もして博報堂に入った友人がいますが、その友人よりも、何倍ももらっている。

そんな彼はスーパーサラリーマンでしょう。

一方僕たちはスーパーサラリーマン向いてないマン。

 

どっちがいい。どっちが正解?

そんなことではなく、どちらが向いているか。という話。

 

そう考えると僕らはサラリーマンには向いていなかった。

それでも、生きれる時代。

起業が本当に身近になった時代。

 

そんな時代に生きて来れてマジでよかったなぁ。

そんな結論に友人と至りました。

マジで一昔前なら、終わっていた。。笑

 

無理に人に合わせる必要なんてない。

 

それでも、多くの人、特に社会は「みんなが右を向いているのに、なんだお前は右を向かないんだ。」

そういう世の中です。

 

日本の学校では、みんな同じように育てることが正義だし、少しでもはみ出したら「問題児」として扱う。

そうして子供の個性を殺してく。

 

人に合わせることが正義であり、人に合わせられない人のことを「不良」と呼ぶ。

でもボクは、無理に人に合わせる必要なんて、全くないと思う。

 

今学校教育の中で「いじめ」が社会問題になっているわけですが、このいじめも「無理にでも人に合わせる」というよくわからん風習が招いている出来事です。

 

 

また、これは自分自身が経営するようになってわかったことですが、上の立場につき会社を動かして行く、と考えた時に、一番欲しい人材は「文句を言わず淡々と作業する人材」が、会社を動かす時に一番欲しい人材です。

会社の方向性や戦略は、上層部が練る。

 

その方向性や考えた戦略に基づいて、何も意見しない動力となって動いて欲しい。

それが、経営者の「欲しい人材」です。

 

そんな「文句を言わない社員」を育てるための機関が、義務教育だとさえ思います。

だから、無理にでも人に合わせることを強要するし、人と違うことをやれば、「問題児」として扱う。

 

 

 

自分の特性を活かせるのならそれが一番

 

でもね。

思うのは人間には向き不向きがあると言う事です。

 

手先が器用な人もいれば、不器用な人もいる。

口が達者な人もいれば、口べたな人もいる。

総じてそれは、個性です。

 

 

サラリーマンに向いている人は、続ければ良い。

サラリーマンに向いていない人は、起業やら副業やらで自分で稼げば良い。

それぞれの個性は人によって違って、無理に他人に合わせる必要は無い。

 

他人に合わせた瞬間に、それまで光輝いていた個性は全く光を放たなくなる。

そう言う事だと思います。

 

 

サラリーマンを続けたければ続ければ良いし、それに向いていれば、自ずと個性は出てくる。

向いていないのなら、無理にサラリーマンだけに固執する必要も無いし、副業からでも、今のプラットフォームなら、サラリーマンと同額の収入を作るのはさほど難しく無い。

 

サラリーマンでの収入が上回れば、辞めたって良いし、不安だからと言って、同時並行で続けるのでも良い。

別にサラリーマンという1つの道筋だけが生きる道ではありません。

 

個性を生かし、成功した例

 

芸人の厚切りジェイソンが芸人になるまえ、エリートサラリーマンでした。

ふと日本に来た際に、ザブングルの加藤を見た時、「芸人になりたい」と思う様になりました。

 

その事を直接、ザブングルの加藤に伝えると、「いやお前家族も居るやろ?大丈夫か?」

そう心配されたそうです。

 

でも外国人の厚切りジェイソンが不思議に思ったのは、「なんで日本人は、一方を取る時一方を捨てなくちゃいけないと思うんだ?」

「両方取ったら良いじゃないか?」

そう思ったらしいんです。

 

そして、芸人とサラリーマンとの二足のわらじを履きながら、芸人としてもブレイクするに至りました。

彼の場合、元々めちゃくちゃ頭がいいので、サラリーマンにも向いていて、結果を出していたようですが、それでもサラリーマンに固執する必要は無い事を体現した人物でした。

 

アインシュタイン

 

アインシュタインなんかも、自分の特性を生かして成功した1つの例です。

 

アインシュタインは、大学生の時。

准教授になろうと、教授のもとに掛け合うわけですが、主張が強すぎるため、教授から嫌われます。

そのせいで、准教授にはなれば、一度社会人になっています。

 

その社会人生活の傍、ずっと研究を続け、特殊相対性理論を考え出します。

 

もし仮に、「向いていない分野」を続けたとして、そのまま会社員の仕事だけをしていては、あの有名なアインシュタインとはなっていなかったでしょう。

 

「自分の好きなこと」「自分に向いているもの」

これらに向き合ってきた結果、歴史に名前を残す科学者として、アインシュタインは成功したわけです。

 

その証拠に彼はこんな名言を残しています。

「私は天才ではありません。ただ、一つの問題を人より長く向き合ってきただけです」

 

 

 

別にこれだって言う1つの道しかない訳ではないし、歩みたい道に行ったって良い。

そう思いますね。

 

 

向いていないのなら無理に我慢しながら続ける必要は無いし、自分が勝てるステージで戦うべきです。

それはサラリーマンであろうと一緒です。

 

自分を殺して他人の人生を生きるより、自分の人生を生きた方が、絶対楽しいでしょう?

 

終わりに

 

最後の芸人繋がりで千原ジュニアの本で、部屋と頭の中は、繋がっている。

そんな風に言う一文がありました。

 

部屋をキレイにすれば、頭も同様に整理されるようで、何か振られたときの返しとか、大喜利なんかでスッと出てくる。

だから、部屋を常にキレイにして、頭の中を整理整頓しておく。

 

まぁ、これは千原ジュニアの理論ですが、僕自身も「なんとなくそう思う」特に科学的な理論がある訳じゃないけど、ある意味納得です。

なんで、今日は朝から、部屋を掃除しました。

 

掃除する事で、頭の中がスッキリすると言うか、リフレッシュする。

そんな感覚があるんで、だらしない性格だから、定期的に掃除はしないとね。って事で。