成功する人は○○が違う。成功と失敗を分かつたった1つのこととは

学校で同じ教科書を見ても、成績が良い子と成績が悪い子がいます。

同じ教材を見ても、結果が出る人と結果が出ない人がいます。

 

目に見えない物だからこそ、多くの人はなんとなく、成功するのは、

「能力の違い」

「そもそものポテンシャルの違い」

 

そんな風に、目に見えない違いに結論を求め、成功できないor結果が出ないことをなんとか正当化しようとする。

 

ボクも上手くいかないときは、そのように外的部分に成功できない原因を求めていた時期がありました。

 

現在は1日に色んな質問を頂くので、個別で返信することは出来ないのですが、それまでは密に、読者とやり取りをしていた。

そのときは、多分数百人単位で、やり取りしていたと思います。

 

読者と密にやり取りして行く中で、「これが同じ物を見ても結果や成果が出る人の違い」

という部分が、ボクなりに結論付いたので、お伝えしようと思います。

 

成功する人と失敗する人に大きな違いはない

 

上手くいく人と上手くいかない人に大きな違いがあると誤解する方も多いですが、実はこの両者には、そんなに違いがある訳じゃない。

実はたった1つの違いだと思います。

 

結果や成果というのは、いわばゴールです。

 

成功というゴールにたどり着くためには、実は2つの要素を含んで、ゴールにたどり着きます。

それは【外的要因と内的要因】

 

外的要因とは、環境やノウハウ、運といった、自分の外を取り巻く物のこと。

内的要因とは、自分自分の内側を取り巻く物のこと。

この外的要因と内的要因の2つが、成功するゴールという結果の「内なる成分」です。

 

 

例えばマラソンで、走りきることをゴールとすれば、内的要因は、自分の体力や心肺機能。

外的要因は、天候や地形など、その他の要素。

 

体力が無ければ、マラソンを完走することは出来ないし、天候が悪かったり、アップダウンの激しい、道のりであれば、これまたタイムに支障が出てくることでしょう。

この外的要因と内的要因の2つから、1つの目標までのゴールが導きだされる訳です。

 

つまり裏を返して考えれば、「何か上手くいかないときは、内的、外的要因のいづれかを改善することで上手くいく」

ということ。

 

ゴールを作り出す要因がこの2つなら、どちらかを改善することで、よりよくなる道が拓ける。

ということです。

 

ここまでは、外的要因とか、内的要因とかの言葉を知らなくても、なんとなく肌感覚で、多くの人が知っていること。

本当に成功するために大切なのはここから。

 

では、仮に上手くいかなかった際に、

1、内的要因

2、外的要因

このどちらにスポットを当てればいいのか。

 

実は同じ物を見たり、同じ教科書で学んでも、上手くいく人と上手くいかない人の違いが出るのは、ここが間違っているんです。

 

成功する人は、すべからく「内的要因」に目を向ける

 

上手くいく人というのは、すべからく「内的要因」に目を向けます。

と言うか、外的要因には目さえくれません。

 

例えば上手くいかない人は、よく「環境のせいだ」「時代が悪い」

そんな風に、上手くいかない、成功できない理由の言い訳を言います。

 

またひどい人になれば、国や他人に誹謗中傷を浴びせ、「政治家が無能なんだ」とか、「もっと国をよくしろ」とかって言いまくしたてる人もいます。

まあ、確かに、政治家が有能なのかは、スキャンダルなんかもあるので、なんとも言えない部分もある。

 

でも、2chに誹謗中傷を書き込んで、ご近所に政治家の文句を言って、果たして何が好転するんでしょうか。

 

よく、「他人は変えられないけど、自分は変えられる」そんな言葉を耳にしますが、これはいわゆる、「外的要因」と「内的要因」のことを言っている訳です。

 

他人=外的要因

自分=内的要因

 

でも人は、外的要因を変えられると思い込んでしまいがちです。

そして成功できない原因を外的要因に求めがちです。

 

恩師に言われた一言で目が覚めた

 

ボクも学生時代、外的要因に原因を置いてことがあります。

 

サッカーでの試合中での出来事。

その日は土砂降りの雨で、ボールは全く転がらず、土のグランドは、雨の池となっていました。

当然キレイなサッカーをすることは出来ず、文字通り「泥仕合」でした。

 

もちろん、自分自身が結果を出すこともできず、見るも無惨な結果に。

 

その上手くいかない自分のプレーを、「雨が降っていたから」と、環境のせいにして、ふてくされながら、結果を出せなかった自分をボクは正当化しました。

 

そんなふてくされたボクを見て、コーチに言われたんです。

 

「お前は雨が降っていることを出来ない原因にしているけど、雨が降ってびちゃびちゃなグラウンドでサッカーをしていたのは、みんな同じだ。

同じ条件なのに、お前より優れたプレーをしている選手もいる。

一方でお前は優れたプレーが出来なかった。

単純に自分の能力不足じゃないのか?」

 

まさしく図星でした。

 

 

出来ない理由を雨という悪天候のせいにすることで、自分を正当化した。

だけど、同じ条件なのに、上手くこなしている選手もいる。

 

点を取った選手、アシストした選手。

比較すれば、当然自分の能力不足だったのは明らか。

 

間違いなく、「逃げるために」

外的要因に原因を求めていました。

 

ボクはただ単に、「逃げるな」という意味で、成功できない理由を精神論で解決する意味で、外的要因に原因を求めては行けない。

という風に言いたい訳じゃありません。

 

そうではなくて、「内側と外側」

「どちらに目を向けた方が、自分の可能性が広がるか。」

この違いが大切だと思うんです。

 

変えられない物に力を注ぐか、変えられる物に力を注ぐか

 

外的要因は、変えられません。

天候や気候を変えることは出来ないし、雨が降っていたことや、ぐちゃぐちゃなグラウンドを取り替えることは出来ません。

 

でも、「環境に適応できなかった自分」に目を向ければ、いくらでも改善を図れます。

変えることが出来ます。

 

スリッピーなグランドを想定して練習することで、悪天候時のプレーを改善することも出来るし、ぬかるみに足を取られるなら、足腰を強化すると言う課題が見つかります。

全く変えられない雨や風のせいにするより、いくらでも改善できる自分のせいにした方が、遥かに楽だと思うし、可能性も広がると思うんです。

 

実は、上手くいく人と、上手くいかない人の違いは、ここにあります。

 

上手くいく人は、なんだか全てがスムーズに行ったように感じますが、実はそうではなく、
必ずいくらかに壁に当たります。

あのイチローですら、壁にぶち当たる訳ですから、ボクらのような凡人が、壁に当たらないと思う方が、傲慢だと思います。

 

ただそのときに、「自分に足りないことは何か?」

内的要因に原因があると想定する人は、改善を図ります。

内的要因に原因があるので、改善することが出来る訳です。

 

一方で上手くいかない人は、壁に当たったときに、「環境が悪い」「ノウハウが悪い」「時代が悪い」「国が悪い」

全てベクトルが外的要因に向かうので、全て1人の力で変えることは出来ません。

 

変えられないところに力を注ぐのか。

変えられるところに力を注ぐのか。

ここで両者の行く道に、大きな違いが生まれてくる訳です。

 

 

「成功しない人、上手くいかない人」

 

 

ーー壁ーー

 

 

外的要因に原因を抱き、「諦める」

 

 

「成功する人、上手くいく人」

 

 

ーー壁ーー

 

 

内的要因に原因を探り、「改善する」

 

 

「諦める」

「改善する」

これが1つ1つのアクションに積み重なって行き、数十年たった結果。

この両者には大きな差が生まれているのは当然のことです。

 

変えられない外的要因に原因を求め、労力や時間を使うのは、かなりもったいないと思います。

 

そう言う人が成功するには、国が変わったり、革命が起きない限り理想の未来は訪れないので、大分未来の話になりそうですね。

それなら変えられる部分、「自分」にすぽっと当てた方が、成功へは遥かに早くなると思います。

 

 

 

終わりに

 

つい先日、美容院に行ったところ、バッサリ切られてしまい、伝えたイメージとはかなり遠い髪型になってしまいました。

多くの人は、文句を言ったり、不機嫌になったりするんでしょうが、クレームを当てたところで、髪の毛は戻って来ません。

 

仮にイメージより短くなっても、別にセットの仕様によっては変えられるし、髪の毛なんて、
また伸びてくるし、ボクは特に気にもとめませんでした。

 

ボクの伝え方も悪かっただろうし、次にきちんと意向を伝えれば、同じミスは無くなります。

そうやって内的要因部分、「変えられる自分の範囲」にベクトル向けた方が、遥かに人生は楽な物になると思いますね。

 

変えられない物にぐちぐち言う人は、全てが思い通りにならないので、なんだか人生、大変なんだと思います。