仕事の立場によって形成する人格が決まるんだなと感じた

先日お気に入りのカフェで、読書をしていました。

もちろんこの間買った、Amazon Kindle fireを広げながら。笑

kindle fireを買った思った「使い道がなければ特にいらない物」

 

読書をしているボクの横にスーツを着たサラリーマンらしき人が、タウンワークをジッと見ていました。

 

それを見た瞬間に、やっぱり稼ぐ力を持っている人が、強い時代になったな。

と感じました。

 

タウンワークを見ていた人とボクの母親が被って見えた

 

そのスーツを着た人がどんな経緯でタウンワークを見ていたのかは分かりません。

もしかしたら、転職によって給与アップを狙っていたのかもしれないし、スキルアップの為に、タウンワークを覗いていたのかもしれない。

それは分かりません。

 

ただ、ほとんどのケースで、ステータスアップの為の転職は、ヘッドハンティングだったり、
高収入専用の転職サイトを活用すると思います。

スーツを着た人が、タウンワークを見ているその光景はボクの過去にも見たことがある光景でした。

 

それは美容室が潰れた後、職を失った母親が、職探しの為に見ていたいもの、それこそがタウンワークでした。

 

 

ボクも学生の頃、タウンワークを見ながら、アルバイト先を見つけたものです。

タウンワークには、とくに高収入の転職先がある訳じゃなく、地域のアルバイト、もしくは派遣先。

それらの求人が掲載されているもの。

 

カフェにいたスーツを着た人とボクの母親との姿が少し被って見えました。

 

囚人と看守の恐怖の心理実験

 

人は立場によって、人格を形成するという見方があります。

 

ある心理的実験で、囚人と看守の2つにわけ、囚人役には、本当の囚人の生活を。

看守役には、本当の看守の生活をさせました。

 

すると、看守役は囚人役の人達を見下しはじめ、暴力や罵声を浴びはじめました。

囚人もその行為を受け止め、「囚人として」立場を全うしたそうです。

 

その後は、看守役の行動がエスカレートし、暴力も暴言も日に日に強まって行ったため、強制的に終了させられた心理的実験でした。

実験が終わるときでも、看守役は「まだ続けさせてくれ」

そう言っていたそうです。

 

 

看守と囚人。最初は全く同じ立場の人で、悪い事をしたこともなかった人達でした。

それが囚人と看守という立場に分けたところ、その通りの人格を形成して、行動をしだしたことから、人は立場によって、人格を形成することが証明された有名な実験でした。

 

これをボクは職業ヒエラルキーでも当てはまると思っています。

 

仕事の立場で決まる人格形成「果たして生き残るのは」

 

資本主義社会の中で、ヒエラルキーのトップは資本家、起業家。

要するに、雇う側と雇われる側となります。

 

残念ながら、ボクの母親は自営業の中であっても雇われという立場でした。

 

雇ってもらった中で、仕事を与えられ、与えられた仕事をこなすことで、お金をもらう。

雇われという立場で常に物事を考えていたので、仕事をするときも「いかに与えられた仕事を早くこなすか」

作業効率を早めることが、母親の使命だったように思います。

 

ボクは小さい頃から、よく両親の美容室に顔を出し、髪を切ってもらっていたので、母親の仕事ぶりは、小さい頃からよく見ていました。

 

仕事を与えてもらえる状況ならまだいいのでしょう。

しかしボクら家族はそうはいかず、ある日突然の倒産。

与えられる仕事も与えられなくなりました。

 

いかに早く与えられた仕事をこなすか。

母親の使命である、その「仕事そのもの」が無くなってしまったのでした。

 

 

雇われという思考のまま、投げ出されてしまったので、職が無くなったときにできる対処法はただ1つ。

「次の職を探すのみ」でした。

 

またいつ、次の会社が無くなるか分からない。

そのうえ、新しい職場で、1からの人間関係を育む。

 

人の悩みの9割が人間関係から来るといわれているので、人に恵まれている職場なら良いですが、50歳を過ぎて、新しい人と交流し直すことは、なかなかハードルの高いことだったでしょう。

本来なら指導する立場であってもおかしく無い年齢ですが、新しい場所では50過ぎの新人さん。

 

また条件1つで、すぐにクビを切られるかもしれない。

年齢が行っているので、雇う側からすれば、リスクを感じる人もいるでしょうから。

契約書1枚で、職務終了となる状態です。

 

雇う側の視点を持った人

 

一方で、雇う側の立場の場合、仮に仕事を失ったとしても、「職を探す」ことではなく「仕事を見つける」ことをします。

 

よく社長をやっていて、倒産した人の復活劇なんかがテレビでやっていますが、これは「仕事を作り出す」という立場から見る視点があったから、考えられる選択肢です。

マネーの虎の南原竜樹社長なんかは、輸入会社が倒産し、2億ほどの借金を背負いました。

 

普通であれば、2億の借金を背負った瞬間に人生はおじゃんです。

南原社長も一度はホームレスをも経験したのに、そこから借金を返済し、さらに会社を立ち上げ、以前の会社の年商をも超える事業を立ち上げることに成功しています。

 

これは雇う側の立場にいて、「与えられた仕事をこなす」のではなく、「仕事を作り出す」という視点があったため、再起できる選択肢を選び出せたということでした。

 

稼ぐ力を持つ人が持てる「真の安定」

 

与えられた仕事をこなすという立場でいる場合、与えられるであろう仕事が無くなったとき
できることは「仕事を探すこと」だけです。

ボクの母親がそうであったように。

 

もちろん母親には感謝してますし、尊敬もしています。

ただ選択肢が1つしかないのは、間違いのないことでしたし、悔しいですが、それが「社会」というものでした。

 

ただ一方で、仕事をどう作り出すか。

という視点で物事を見ている場合、職が無くなったとしても、また新たに仕事を作り出すことができます。

要するに自分自身の力です。

 

だれかに頼っている限り、頼っているものが崩れた場合、その安心はもろく崩れますが、だれかに頼ることなく自分本位の力で立っている場合、一度崩れても、自分本位で立ちおなすことができます。

 

他力ではなく「自分本位で立ちおなす」

ボクはそれこそが真の安心だと思います。

 

近くでそんな母親の姿を見ているので「やっぱり稼ぐ力を持っている人が、強い時代になったな」と思ったわけです。

 

自分で稼ぐ力がないというのは、他者に完璧に依存するので(会社からの給与、仕事の斡旋など)、真の安定は得られないと思いますね。

他者に依存しない自分で稼ぐ力がある人が、強い時代だなと感じます。

 

終わりに

 

また、雇う側の視点というのは、大きな金額を動かしていないからその視点が養えないというわけではありません。

 

養えるお金がなくても、子供を産めば母親になることはできます。

そして子供が生まれた途端に、「母親として子供を見る」ことができるようになります。

 

子供が生まれた途端に、自分の母親に感謝しだした。

なんて言うのは、まさに母親としての視点を自分が持ったから生まれた感謝でしょう。

つまり、金額の大小に関係なく、その立場で一度物事を見てみるだけで、養われて行く感覚です。

 

副業をしているというだけで十分養われて行く感覚ですし、その経験が、ヒエラルキートップの人格を形成して行ってくれます。

やっぱり単なるサラリーマンの人よりも、副業に取り組んでいる資本家、起業家としての視点を持ったサラリーマンが一番優れているのはその点からだと思いますね。