日本のサラリーマンでかっこいい人がいない理由。

最近の流行りが、日向ぼっこなので、近所の野球場の隅っこで、日向ぼっこしていたら、平日には珍しく、野球場へ車が次から次へと、ボンボコボンボコ止まって来ました。

「どー言う事だ?」

って感じてたら、どうやら老人達が、ゲートボールを行なうようで、野球場に集合している様でした。

邪魔になっているっっ!

って感じたので、日向ぼっこをそそくさと撤退する羽目に。笑

でも。

年取っても、楽しみがあって、天気の良い日に、外で運動する楽しみがあるって、本当に素晴らしい。

そんな老人は、やっぱり「キレイな笑顔」をしていました。

そんな事はさておいて、先日友人と話している時に、もっぱら話題になったのが、「カッコイイサラリーマンがいない」という話でした。

日本のサラリーマンでかっこいい人はいない

僕がサラリーマンだった当時、朝から電車に乗り込み、新宿で乗り継ぎし、溢れんばかりのJRに押し込まれ、家畜かの様に会社へと運ばれて行きました。

1日数百万人が集まる、日本最大のターミナル。

新宿駅。

日本中からサラリーマンが集まるこの最大のターミナル新宿駅で、僕は何万人と同種のサラリーマンを見て来ました。

だけど、一方で猫背で朝からクタクタな人。

疲れ切った顔で向かう人。

足取りの重い人。

多分「サラリーマンのとき、週末が過ぎ去るのが憂鬱で仕方なかった。」にも書いた部分が、サラリーマンの憂鬱な雰囲気を生み出しているんだと思いますが。

男として生まれた以上、カッコイイ男になりたい。

だからこそ、憧れる人の近くに居たい。

そう思っていました。

(ゲイではなく。笑)

ただ、何より、「憧れ」となる、カッコイイサラリーマンに僕は出会った事がありませんでした。

数百万人と日本中からサラリーマンが集まる最大のターミナル新宿を毎日割烹していたのに、かっこいい、憧れられるサラリーマンに出会った事がありませんでした。

職場にも憧れられる上司はいなかった

もちろん駅で行き交う人だけを見て全サラリーマンをどうこう言うことは出来ません。

それは、顔がかっこいいとかの外見だけじゃなくって、人としての格好良さは内面や雰囲気、接し方なんかの色んな要素を含んでいるから。

でも結論として僕は、どの会社でも「この人に成りたい」と憧れを持てる上司に出会うことはありませんでした。

上司がとった驚きの行動

それは不動産営業として働いていたときのこと。

その不動産会社での新規顧客の獲得は、オープンハウスからの集客をメインとしていました。

オープンハウスに来てくれた人に対して、色んな物件を紹介して行く。

参考記事:「【就活生へ】これから営業職に就こうとしている君へ。経験者が営業の実情を伝えようと思う

そのために、休日にはオープンハウスの中で、営業マンが待つ訳です。

でもオープンハウスに来場する人は、多くて1日二人ぐらいなもの。

だから僕の上司はオープンハウスのなかで寝ていて、「お客さんが来たら起こして」

そんなことを言う上司もいました。

上司がつぶやいたまさかの一言

また、別の日に。

上司と昼ご飯を定食屋さんで食べているときに、定食屋のテレビを見ながら食事をとっていました。

そんなテレビを見ながら「働きたくねぇよなぁ」とボソッとつぶやきました。

確かに働きたくはない。

でもその人は40代後半で家族と子供もいる身分。

さらに言えば、後輩の前で堂々と愚痴る姿に、僕はサラリーマンとして憧れを持つことは出来ませんでした。

また、不動産の仕事は朝9時から夜9時までの12時間労働。

「働きたくない」という言葉と同時に、「でもさ。17時に仕事が終わったら何したら良いのかわかんねぇよな」

そんな言葉をつぶやいていました。

上司達が集まって話していた驚きの話題

またこれは別の職場の時。

工場で働いていたときに、休憩室には決まった上司数名が集まり談笑していました。

仕事へのグチや、ダルいかったるいという言葉を吐いて行くのはもちろんのことでしたが、ボクが驚いたのは、別の話題でした。

彼らが話をしていたのは、仕事のグチ以外のときはずっと「ギャンブル」の話。

もちろんボクがギャンブルをしないので、楽しみが分からない部分はあるかもしれません。

(かなり昔に辞めました。)

それでも50過ぎて、する話題がずっとギャンブルって、どうなんだろう。

もっと別の事への話題があるんじゃないか。

そう思えて仕方ない。

趣味も遊びも好きな事もなく。

ただ、与えられた仕事をこなすだけの人。

乗り換えで見るサラリーマンも。

身近で接する上司も。

僕の周りでは「かっこいい」と思えるサラリーマンは皆無でした。

外回りの営業でパチンコに行く上司

また別の職場にいたころ。

当時は訪問販売の飛び込み営業をやっていた時でした。

僕としてもそれなりの目標があって「モノがあふれかえった時代だからこそ、営業力がある人がこれからは生き残れる。飛び込み営業は一番つらい営業だけど、ここで結果を出せれば力をつけられる」

そんな風に思って就職した場所でした。

それこそ当時はしゃにむにに働いたわけですが、会社からの帰り道に衝撃の一言を聞くことになります。

「どんな風に営業してるの?」

「そんなまじめにやってても、契約取れねぇよ」

「俺なんて適当に回ったら、パチンコ屋に行って時間つぶしてるよ」

そんな風に上司が言っていました。

しかも上司と同期ぐらいの人は「それいいね!俺もやろう」と盛り上がりながら、会社から駅に向かっていきました。

確かに仕事は楽しくないかもしれない。

だけど、仕事を楽しんでいる大人の方がかっこいい。

いや、趣味を仕事にしているような、趣味だろうが仕事だろうが、どちらにおいても楽しみながら生きている人はかっこいい。

そう思っていたわけですが、彼らは「どう楽をするか」ということを第一に仕事をしているようでした。

僕はそんな大人をかっこいいとは到底思えなかった。

10年後、20年後の未来が上司の姿

そして僕らから見える上司の姿っていうのは、僕らの未来の姿でもあったりする。

10個上の上司の姿が、10年後の自分である可能性が高いし、20歳年上の上司の姿は、20年後の自分という形で見えてくる。

そう考えたときに、その未来に全く持って希望が持てなかったし、まったくもって魅力的じゃなかった。

芸人の世界では「お金も稼げないけどやめない芸人」が数多くいます。

それはもちろん「夢」として諦められない部分もあるとは思うけど、「こんな芸人になりたい」という将来像を先輩や上司が見せてくれているから、お金を稼げなかったとしてもあきらめずに辞めないんだと思う。

そう考えると、やっぱり少なくとも僕の周りには「かっこいいサラリーマン」は数少なかったように思います。

ボクの周りにいた唯一カッコイイと憧れた大人

ボクは男としてかっこいいと思えたサラリーマンは、これまで挙げて来た通り、ほとんどいませんでした。

ただ、唯一1人だけ、かっこいいと憧れられた人がいます。

それは、営業会社のサラリーマンをしていたときの「社長」でした。

なので、厳密に言えば、サラリーマンじゃない。だから「大人」と言い換えました。

これは「社長だから」とか、「お金を持っているから」とか、そう言った理由でかっこ良く思えたんじゃない。

出で立ちや、雰囲気、発言の全てがボクはカッコイイと思えたのでした。

浪人してしまうと就職に不利になるって本当?経営者が言った驚きの一言。」この記事でも紹介している社長なんだけど、ボクは本当にお世話になった。

家に泊めてもらったりも何度もしたし、そこでいろんな話を聞けた。

次の日仕事なのにも関わらず、朝まで一緒に話してました。

本当「兄貴」みたいな存在でした。

ボクはこの社長の会社の従業員だから、そこまでお世話をしてくれているのか?って最初は思っていたんだけど、他の会社の人とかも平気で泊めてあげて面倒見てあげてました。

そんな社長から、泊まっているある日。

こんな事を言われたんです。

カッコイイと憧れの社長から唯一怒られたこと

社長:「新しく入って来たヨシくんいるじゃん?」

ボク:「ハイ」

社長:「その子の事なんて読んでる?」

ボク:「ボクはヨシ君って読んでます。」

社長:「でも。年上だよね?君付けで読んだら失礼だよ。新しく入って来た子であっても、年齢が上だったらきちんと「さん付け」で読んであげな。」

「じゃないとキミが上の立場になったときに、人は着いて行きたいとは思ってくれない。だれかの見本になって行動しないとダメなんだよ。」

ボクはびっくりしました。

もちろん、ヨシさんの事は「君付け」で読んでいましたが、他の会話は全て「敬語」でした。

古くからいるから偉いとか、全く思っていなかったし、ヨシさんは年上なのだから、当然敬語も使っていました。

でも、そんな「従業員の呼び名」という小さな部分もきちんとみて、従業員のお手本になる事をさとす。

そんな細やかさにびっくりしました。

また、ボクが憧れを抱いたこの社長は一回も「部下」という言葉を使いません。

当然自分の会社であり、そこで働いている従業員を「部下」と読んでも良いはず。

ボクは気になって、「なんで部下って言う言葉を使わないんですか?」って聞いた事がありました。

なぜ、部下を呼ばないのか。

すると社長は「部下ってさ、「下」って言う言葉が入るじゃん?だからキライなんだよ。オレは必ず、従業員って呼ぶようにしている。

別にオレが作った会社だからって言って、オレが一番偉い訳じゃないし、社長とかマネージャーとかっていうのは、仕事の役割分担の意味でしかないから、上とか下とかそういうことじゃないんだよ。

従業員には従業員の子しか出来ない事があるし、従業員がいるからこそ、会社は利益を上げて行ける。だからオレの方が感謝しなくちゃ行けない立場なのに「下」っておかしいでしょ。

ましてや、オレを見て「この人に着いて行きたい」って思ってくれてこの会社に入ってくれた。

その従業員の生活もかかってる。だから尚更「下」なんて付けられないし、その為に頑張らないと行けないんだよね」

そんな風に部下と言う言葉を使わない理由を話してくれました。

かっこいいサラリーマンにはあった事がない。

でも唯一カッコイイと思える大人は、この社長ただ一人でした。

日本人には元々かっこいい人が少ないのか。

じゃあ、日本にはカッコイイ人間が数少ないのか。

最初はそう考えましたが、小学校、中学校、高校と絶対数、女子にモテててたイケメンは居たはずです。

(僕は大学中退なので高校まで。)

顔面が素直にかっこいい友達。

雰囲気がかっこいい友達。

出で立ちがかっこいい友達。

顔のポテンシャルだけでなく、諸々を含めると学校に2〜30%彼女が居たり、モテてる男子はいたはずでした。

そして、一定数はそのまま年齢を重ねて行き社会に出て行く訳です。

社会に出れば大半がサラリーマン。

だけど、サラリーマンになった瞬間に、かっこいいと思える大人は、1割にも満たなくなり、憧れるサラリーマンは、皆無に等しい数でした。

現に、僕の回りの同級生達は、サラリーマン勤めの疲労から、顔から精魂が抜け落ち、日々の作業に追われている同級生で溢れかえる様になりました。

スーツ姿で地元の駅から自宅へ向かう道中、重そうなカバンと猫背な足取りで、自宅に戻る姿は、僕が見て来た新宿駅で見た普通のサラリーマンと全く同じでした。

その中には、学生時代サッカー部で、回りの女子からモテモテだった友人も入れば、勉強が得意で回りから一目置かれ、尊敬されている友人もいました。

ただ、サラリーマンに成った瞬間に、学生時代の輝きや抜け落ち、毎日忙しく過ぎて行くルーティンをただ楽しみもなく、黙々とこなす姿がそこにはありました。

参考記事:「会社の成績のために働く人生ってなんなんだろうね。

「あぁ。こうやって老けて行くんだなぁ」

サラリーマンでかっこいいと思える人がいない理由が垣間見えた気がしました。

サラリーマンに成りたいと思う人が少ない理由

女性は分かりませんが、男が「何かやりたい」「こうなりたい」そう感じる時、必ず「憧れる男」の姿があったはず。

サッカーを始めるのは、キングカズがかっこ良かったから。

この記事にも書きましたが、本田圭祐に魅力を感じたから。

野球を始めるのは、イチローに憧れを感じるから。

テニスを始めるのは、錦織圭の活躍を見たから。

どの分野も、憧れる男の像があり、そんな人に成りたいと思って、少年達は夢や憧れに抱きます。

じゃあ、かっこいいサラリーマンになりたい。

そう思う少年がいるのか。

少なからず、僕の回りで聞いた事はありません。

おそらく、将来の夢として、子供達が掲げる割合は、1%もいないでしょう。

今では、子供のなりたい職業の上位に君臨するYoutuber。

おそらく、子供達の目には、youtuberの存在が、カッコイイ大人に写っている事でしょう。

だからこそ、なりたい職業上位になる訳で。

ビシッとスーツを着こなし、背筋がピンと伸びた出で立ちで、テキパキ仕事をこなし、考え方、生き方、その全てが憧れられる。

そんな姿をした、サラリーマンが近くに居れば、「サラリーマンになりたい!」そう思う子供も増えるでしょう。

だけど、現状では、僕が憧れる、かっこいいサラリーマンはいなかった。

僕が小さな頃、友人の親父や親戚の親父なんかは、「俺だって若かったときはモテたんだぞぉ」そういう大人が多く居ました。

確かに過去の写真を見れば、ジェネレーションをさっ引けば、カッコイイ男が写る写真だと思う。

だけど、現在が年相応にカッコイイかと言われれば、

当時40代な割に、背筋は曲がり、身なりにも気を使わなくなり、ヨレヨレのTシャツを来ている大人を当時の僕はかっこいいとは思えなかった。

と言う事は、学生時代はかっこ良かったのに、働き始めてからかっこ悪くなった。

学生時代のモテてた人の率を考えると、こう考えるのが自然。

憧れられるかっこいいの定義

逆に芸能人でも、

岩城滉一

所ジョージ

ビートたけし

この人達は、歳を食っても、めちゃくちゃかっこいい。

これは別に、芸能人だからとかじゃなく、生き様から、その背景が男としてかっこいい。

反面かっこいいと思えるサラリーマンが少ないのは、日々の作業に終われ、毎日代わり映えの無い日常を歩み、目標を失った結果、学生の時に輝いていたあの姿が失われて行っている。

だからこそ学生時代、その生き様に憧れや希望を持てなかったんだと、改めて感じました。

要するに、何をどう生きてきたのか。

「人生を楽しんでいる」

その背景に男としての魅力を維持させている秘訣なんだと。

そんな結論に至りました。

所ジョージは世田谷ベースで言わずも知れた、趣味に生きる男。

好きな物なら何でも追い求め、それ専用のスペースを作ってしまう。

生涯、趣味に生きている様で、子供みたいな輝きを感じざるを得ない。

岩城滉一もクレー射撃やら日本人初となる宇宙旅行に行く事を計画するなど、いつまでたっても色あせない冒険心を持つ格好良さがある。

またどことなく、力の抜けたバランスの良い格好良さがあって、顔はもちろんだけど雰囲気や出で立ちまで格好良さを感じる。

ビートたけしは、芸人である以外にも、絵、映画など多彩に色んな物を果敢に挑戦して行くその姿に憧れを抱く。

決して顔自体はかっこ良く無いけれど、男として本当に大きい物を持っている様に感じる新の太さがある。

もちろん数々の実績があるのは間違いないけれど、子供ながらにずっとカッコイイと思って背中を見て行きて来た。

それぞれがそれぞれの分野で、人生を満喫し、全力で突っ走る。

失敗しても、上手くいかなくても、前進するその姿勢に男としての格好良さを感じざるを得ない。

やっぱり、「人生を楽しんでいる」事がカッコイイ男に成る最大の秘訣なんだと、友人達と話していて達した結論でした。

【大人って最高に楽しいわぁ】心から人生を楽しんでいる人は何人居るんだろう。」にも書きましたが、「大人って最高だ。」そんな大人になりたいって、心から想います。

終わりに

「カッコイイサラリーマンが居ない」

これは、学生時代かっこ良かった人でも、サラリーマンとして、人生をすり減らして行く仮定で、格好良さが削ぎ落ちざるを得なかった。

それは人生を楽しむ事よりも、レールの上を乗る事を強制されたから。

カッコイイサラリーマンが近くに居れば、もう少し、会社員として頑張っていたかもしれません。

(まぁ結局の所、遅かれ早かれ独立していたと思うので、早いに超したことは無かったかなと)

子供の時に憧れた「かっこいい大人」

そんな大人に成れる様に人生最大限楽しんで行かないと、男としての魅力は半減し続けるなと感じましたね。

「人生は一度きり」

そうやって子供に好きなことをやれ!と教える大人も多いと思います。

だけど、そういう自分は出来ているのか?って聞かれればそうではない大人が大半。

自分が出来なかったらから子供に対しては後悔してほしくない。

そんな気持ちの表れで「好きなことをやれよ!人生一度きりだから!」と言っているような気がします。

でも、自分が出来てないのに、子供に教えること自体ナンセンスだと思うし、本当に大人を楽しんでいる人は「人生一度きり」なんてことは分かりきっているので、そもそも口に出さず行動しているもの。

自分が出来ないことをだれかに押し付ける。

これこそカッコイイことではないと思いますし、僕は口だけで自分は出来ていない大人にはなりたくないなって感じましたね。