先日は少し「ライティング」に関して触れました。
そこで結構、感想をいただいていて好評だったので、今日も少しライティングについて深掘りしていこうかなと思います。
特に
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「どうやって書いていいかわからない」
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「書き始めの段階で手が止まってしまいます」
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これらの意見が多かった印象です。
それに対して僕が感じるのは、これからの時代「アンサーファースト」の時代になると感じてます。
もし仮にブログ記事の書き方や書き出しで止まってしまう場合は、アンサーファーストを意識して書いて見るといいと思います。
アンサーファーストとは
アンサーファーストっていうのはいわゆる「結論を先に伝える」ということを意味します。
これまで社会ではいろんなメディアの移り変わりをしてきました。
まず新聞があり、ラジオがあり。
そこからテレビが出てきてインターネットが台頭してきた。
当然これらに由来して、人々のライフスタイルは変わっていったわけですが、「見る」という観点からライフスタイルを考察して見ると、テレビを見ていた時代から、ネットメディアに移行して圧倒的に変わったのは、「集中力」です。
基本的にテレビ番組というのは1時間で構成されています。厳密にいえば50分ぐらいですが、好きなドラマやバラエティがあれば、最低1時間はテレビの前にいないといけない。
それが当たり前だった時代から、今はyoutubeなどのメディアを筆頭に、10〜20分ぐらいの動画が主流となってきている。
つまり、「短いのに慣れたライフスタイル」ということにつながる上、「長いのには慣れなくなった」ということが言えるわけです。
これはライティングでも同じことが言えます。
結論を先延ばしにし、「知りたいことがしれない」というのは、これからのライフスタイル的に、受け入れられづらいということ。
それは要するに、集中力が欠落し始め、「短い時間」しか、集中できないため、アンサーファーストにする必要があるということ。
これは見抜いている人であれば、もう数年前から実践しています。
このアンサーファーストというのは、どんどんと加速していくでしょう。
ライフスタイルの変化から読み解く、これからのライティング
その上。
もう少し踏み込んでいくと、
テレビというメディアと、ネットというメディアのライフスタイルの変更という観点において圧倒的な差というのは、「能動的か」「受動的か」ここが非常に大きな差になってきています。
テレビというのは、別に見たくなくても、流れているもの。
一方でネットメディアというのは、見たくなければ、停止ボタンを押せば再生は止まります。
要するに、テレビは受動的であり、ネットは能動的である、ということがここでわかる。
その上で、ここで移動していったのは「選択肢を持つ者」の存在です。
この選択肢を持つ者というのがどういう存在かというと、昔は殿様商売のように、テレビが選択肢を持つ時代でした。
だから僕たちは、最低限面白い番組がやっている1時間はテレビの前にいることが求められる。
また見たいものがテレビでやっていなければ、「諦める」ということしかできなかったわけです。
小さい頃は学校から帰ってきた4時ごろ。
ニュースか全く面白くない番組しかやっておらず。
またそれ以外の選択肢を持っていなかったため、しぶしぶニュースのグルメ特集まで待つか、面白くないテレビ東京のバラエティを我慢して見てたりしました。
一方でネットメディアというのは、面白くなければ別のコンテンツに移行したり、つまらないところを、クリックして飛ばしたりと、選択肢は常に自分達にあることがわかる。
そのおかげで今では僕自身もそうですが、テレビを見ている時も、常にスマホを触っていたり、cmに映った瞬間に友達と連絡を取ったり。
僕たちが、「テレビ、スマホ、漫画、ゲーム」というようにデバイスやコンテンツをチョイスできる、選択肢を持てるようになっていった。
これが大きなテレビとネットの分岐点となりました。
よくsnsの台頭なんかで、「これからは個人の時代」なんて言われたりしますが、「個人の時代」になったのは何もsnsだけの存在が原因ではありません。
テレビのライバルは、スマホであり、ゲームであり、アプリであり、友人であり、恋人であり、家族であるという、ネットメディアの台頭により、「選択肢が一個人」に由来したことが、大きな原因です。
僕が小さな頃。
サッカーが大好きで海外サッカーをよく見ていましたが、当時海外のサッカーが放送されることはほとんどありませんでした。
やってもチャンピオンズリーグぐらいで、リーグ戦は皆無でした。
(唯一クラシコぐらいかな?)
だから、新聞をチェックして、「深夜2時から4時台」のラテ欄を見て、「今日サッカーやってる!!」「今日はやってないのか。。」
そう一喜一憂していたのを覚えています。
(海外サッカーが放送されるとしたら、だいたい深夜だったからです。)
当然当時はスマホもなければyoutubeもなかったため、もしやっていたら、録画を準備して、もしやっていなかったら、意気消沈して寝ていました。
それは選択肢は「テレビ側」にあり、僕ら側に選択肢がなかったからこそ、「意気消沈して寝る」ことしかできなかったわけです。
でも今では、テレビでやっていなければ、youtubeで見ることもできるし。
daznなどのネットメディアを使うこともできる。
映画も同様で、huluやnetflixを選択することもできる。
やっていないからといって、意気消沈して寝る必要もないのが今の時代であり、「選択肢が個人に移行した」ことこそが、大きなライフスタイルの転換点だったわけです。
そう考えると、同じネットメディアの「検索」においても全く同じことが言えます。
「結論がなく、だらだらと続く文章」というのは、ある意味、テレビに主導権があった時代であれば、「それを見るしか情報源がない」ということを意味するわけですから、よかったでしょう。
しかし、僕らを含め、検索してくる人というのは、様々な選択肢を持っています。
そして集中力が続かなくなっている、最近の人にとっては、興味の視点がすぐに移行しがちです。
選択肢があり、興味の視点が移行しがちということは、「興味がなくなれば、別のアプリを開く」という移り変わりを意味しています。
だからこそ、アンサーファーストによって、即座に結論を伝える。
そして、「自分のメディアを選んでもらう」という見方が必要になってくるのがだということ。
そのため、ブログ記事を書いていく際も、必ず「結論から伝える」ということが大切になってくるということです。
もちろん、結論を先に行ってしまうと最後まで読んでもらえないのでは?と不安に感じることや「文章を最後まで読んでほしい」「頑張って書いたからじっくり読んでほしい」
そんな気持ちはわかります。
結論から伝えたら、本文は読まれないのでは?
ただ人間の構造というのは、結論を先に知ってしまうと「なぜその結論に至ったのか?」を機になる習性になっています。
現にこのブログも「アンサーファーストにすべき」と伝えることによって「アンサーファーストとは?」「なぜアンサーファーストがいいのか?」
というように、興味がシフトして行ったことと思います。
つまり、結論を先に伝えることで、より「最後まで読まれる構成」を自然と作ることができるということなんです。
むしろ結論がわからず、何が言いたいのかさっぱりな文章があったとすれば、最初の段階で興味がそがれるため、最後まで読まれることはないでしょう。
ネットメディアの台頭により、集中力が持続しない現代では、よりその判断はシビアになっていますから。
そして、アンサーファーストにするということは、よく言われるライティングのポイントとなる「3つのnot」を乗り越える構成に自然となっていきます。
そもそも人というのは、まず自分の「興味」があることからしか入っていきません。
ですから、まず興味をそそることが大切になってくる。
その上で、信じてもらうための証拠やデータ、論理、などを説明して、実際にアクションしてもらう。
これが3つのnotからなるライティングの構成になるわけですが、アンサーファーストにし「結論から伝える」ことで、自然と「興味をそそる」構成になっていきます。
それは先ほど伝えた通り、人は結論から伝えられると「なぜ」「どうして」という別の感情が第2時的に湧き上がってくるからです。
そしてこれこそが3つのnotに当てはまる「not believe」につながる。
そして、ブログの本文にて「なぜなのか?」「どうしてなのか?」を伝えることで、結論の信ぴょう性をわかってもらう。
このことによって、「not believe」を乗り越えることに自然とつながります。
そして最後の「not action」ですが、そのブログ本文にある結論部分によって、説得力を持たせることができれば自然と行動してくれるでしょう。
(むしろキラーページなどではない限り、強いコミットは必要なく、アクセスを集めるためのブログ記事において無理に行動してもらう必要はないので、そこまで重要視しなくても良い)
つまり何が言いたいのかというと、アンサーファーストにすることによって、自然と「読まれるブログ記事」が作れるということなんですね。
まず興味をそそり読んでもらう。
読み進めてもらった上で、理解し納得してもらう。
ブログ記事において必要なのは、この2つです。
結論を伝えることで「なぜ?」の感想を抱き、読み進めてしまう。
読み進める上で「なぜその結論に至ったのか」が理解できる。
このような読者の流れになるため、アンサーファーストがこれからの時代主流になっていくということにつながり、ブログ記事をかけないという方にとって、記事の構成を決める上でこの上ない材料になるということなんですね。
終わりに
だからこそ、アンサーファーストを意識してブログを書くことが重要だということです。
何も難しいことはなく。「ただ先に結論を伝えるだけ」これだけです。
もし仮に「おすすめのpc3選」というブログ記事を書くのであれば、オススメする3つのpcをもう先に伝えてしまう。
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僕がオススメするpcは「surface」「MacBook Pro(airではない)」「dell」この3つです。
逆に僕はこの3つ以外オススメしません。
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もし仮にこのように結論から伝えたら、「なぜこの3つがオススメなのか?」と読んでいる人は思います。
つまりその先まで読み進めてしまうということにつながり、本文に移行するまでの障壁をなるべく低くすることができる。
ブログ記事というのは、この「なぜオススメなのか?」を埋めていく文章にすぎません。
そして、その地図となるのは、一番先に伝えた「アンサー」つまり、オススメの3つのpcだということです。
こうして先に結論を決めておけば、ブログ本文中に脱線することはなくなりますし、読んでいる読者も「これから3つのパソコンのオススメポイントを説明するのか」と、目的が明確になるため、ストレスなく読み進められる構成に自然となるわけです。
これらの恩恵は、特に意識することなく、アンサーファーストで記事を描くことによって自然に構成される特典です。
ですから、読みやすさ、熟読率、離脱率などにも影響していくということが言えます。
ぜひ記事の書き方や書き出しにつまってしまう方は、「アンサーファースト」でブログを書き始めてみてください。
その後のブログの書きやすさが全然変わってくると思います。