将来必要とされる能力は、考える事が出来る人間が重宝される時代。

 

昨日、一つの壁にぶち当たっている友人とあった。

 

どんな事にでも言える事なんだけど、メンタルとか気持ちの強さ、能力がどの分野問わず欠かせなくなってくる。

自分で何か道を切り開いたり、未体験な物事をするのなら尚更。

 

 

人間は何か責任を負う事に対して、ものすごいストレスを感じる。

それは右か左かを決める小さな判断でもそう。

例えばファミレスなんかでメニューを決める時もそうだし。

今日の夕飯を決めるときもそう。

 

その小さな判断で、多少なり自分に被害が被るかもしれないし、判断を間違えれば、自分にデメリットが生じるから。

だから普通の人間は、決まったルートを選ぶ。

それが一番ストレスを感じず、自分に責任を負う事が無くなるから。

 

 

最近のSNSの台頭で、物事を考える能力は、尚更かなり弱まってきている。

 

Facebook

Twitter

YOUTUBE

インスタグラム

 

この流行の波を見れば、一目瞭然。

 

 

Facebookとは、多少なり長い文章を書き込める言わば日記的な存在のSNS。

しかしTwitterともなると、100文字前後のやり取りしか表示されなくなる。

日記と言うより、つぶやきというコンセプトSNS。

 

気軽さとは相反して、ここで長い文章を読み、読解する力をもぎ取られている事が、反面分かる。

更にSNSが進むと、動画を気軽に見る事が出来る様になった。

 

それがYOUTUBE。

 

動画ともなると、つぶやきや日記よりも、遥かに多い情報量が目に飛び込んでくる。

情景や背景、BGM、高速で喋りだす音声。

 

確かに動画と言うのは、情報を得る時には、莫大な情報量を短時間に吸収出来る為、かなり便利な側面がある。

だけど、情報を浴びせられると言う事は、その反面、自分は考える必要は無くなると言う事。

考える能力は全く必要としないし、受動的に情報を浴びるだけの話。

 

学生時代の退屈な授業と全く同じ。

更に今では、今まで主力だった「文字」を捨てて、写真をメインに扱うインスタグラムが台頭して来ている。

 

文字を読む必要がなく、写真で一目に判断が出来る。

更に考える能力が必要なくなっていると言う確たる証拠。

 

 

ある本には、テレビを見ると頭が悪くなると言う文言を見た事があるけど、それは自分自身が考える事を必要としなくなり、受動的に物事を決める事が、頭を悪くする原因だと思った。

 

 

考えると言うストレスを回避し、自分への責任を被らない人達がこれからどんどん増えて行く。

 

自分で着るパンツも決めれず。

切りたい髪型も選べず。

やりたい趣味も見つからず。

食べたい物も特に無い。

 

そんな子供達が、これからどんどん増えて行く。

 

ただ、これが一方的に悪いとは思わない。

 

明らかに考えられる能力のある人の方が需要は高まるし、考えられる人間がこの先、必要不可欠になり、生き残るのは間違いないから。

 

ただ問題なのは、誰かに寄りかかる事でしか、生きて行けないのなら、自分の人生を生き抜く事は、100%不可能と言う事。

自分で考える事を放棄したのなら、今後一生よりかかる人の意思で、進むべき道を決めるしかない。

それが新しい「運命」と言う定義に差し代わる日も近いんじゃないかなとも思う。

 

 

でも、僕の友人は、自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の手で道を切り開いて来た。

そんな彼が、一つの壁にぶつかっていた。

 

立派だった。

 

そこには一つ一つに大きなストレスがあったと思う。

見えないプレッシャーや責任、不安もあったと思う。

だけど、未体験な道のりだったり、その先の景色を見る為には、絶対にぶれない芯が、必要不可欠になる。

 

それをひとは、

メンタルが強い。

芯がある。

精神的に強い。

等と、色々な言葉で呼ぶ。

 

でも、意味は全て同じで、物事を自分で決める為には、必ずメンタルが強くある必要がある。

そうでなかったら、自分1人で物事を決める事なんて、とっくのとうに放棄しているはずだから。

そう言う意味で言えば、彼は一つ大きな芯を内面に持っていた。

 

 

まだ飛び込み営業マンだった時に、メンタルとか気持ちが強い人の事をロボットの様な人で何も感じない人のことと理解してた。

生まれながらの才能とか、何も感じない体質とか。

 

そう生まれ落ちてこなかった自分はメンタルが弱い人間なんだって思う事しか出来なかった。

でもロボットの様に何事にも微動だにしない人は居ない。

人間であるが故に、感情があるし、感情があるが故に、人間としての意義がある。

 

メンタルが強い=切り替えの早い人間

と言う事に気がついた時に、少しだけ精神的に強くなれた気がした。

肉体と精神とは、凄く密接に繋がっていて、筋肉に負荷をかければ、肉体が成長する様に、精神面もトレーニング次第で、成長させる事が出来る事を知った。

才能ではなく能力なんだと。

 

 

そう考えると、続けてトップセールスになった事も、全くの無駄じゃなくって、飛び込みの地獄の日々も案外役に立った経験なんだって。

まぁ、あんな労働環境に戻る気もないし、14時間労働を重ねる事の意義も今では見いだせないけど、遠回りにでも役に立ってる事は確か。

 

 

そんな話を友人としました。

 

 

久しぶりに、凄く真面目な話をして、俺らしく無いなぁ。

なんて思ったんですけど、昨日の感覚を肌の体感で伝えたくて、あえてそのままの文章で伝えました。

頑張れ!友人!負けるな!