個人でビジネスをするようになって早数年。
サラリーマンとして仕事をしているときは、独立するってことだったり、個人でビジネスをするってことだったりは、猛烈に反対された。
「危ないよ」
「保証なんて無いよ」
「もし食えなくなったら?」
心配されるということは、ありがたいことではあったけど迷惑でもあった。
それは生きる道を決める決定権は自分にしかないものであって、他人から指示された人生を歩みたいとは、1ミリも思わなかったから。
そしておかげさまで、自分でビジネスをする際に心配された、
「もし食えなくなったら?」
「保証が無いよ」
それらの言葉は、全くボクに取っては当てはまらない言葉となりました。
報酬もサラリーマンとの兼業でやっているときに比べると、仕事に専念できたし、専念出来たおかげで、無事に右肩上がりで、上がっていきました。
保証がないのは、サラリーマンだろうが、個人で起業することだろうが、どちらも同じことだと思うし、ボクはいざとなったときに、「身内を守る稼ぐ力」が無いことの方が、保証が無いことのように思う。
そんな今凄く思うのは、個人でビジネスをすることの楽しさをもの凄く感じるということ。
仕事が楽しいと感じられるようになった瞬間
サラリーマンのときの経験から、詰め込みまくって、時間をつぶす働き方はしない。
そんな風に決めた。
何度もここでは言っているけれど、仕事とは手段であり、目的じゃないから。
だから自由に仕事の、時間配分を決められる今、趣味とか好きなことと、仕事をする時間はきっかり分けている。
今は大体半々ぐらいの配分だけど、後々には、好きな趣味とか、楽しいと思える旅行の割合を増やそうと思ってる。
でも好きな趣味とかと同じぐらい、「仕事をするのって楽しい」って思える。
それは、サラリーマンのときには考えられなかった。
自分自身でも本当に不思議で、仕事が楽しいと思える理由を考えてみました。
多分仕事が楽しいって思える理由で1番大きいのは、
「やらされているか」
「やっているか」
この違いだと思う。
サラリーマンのときは、会社や上司からノルマを決められ、そのノルマに届かないと、モノや言葉、色々な物が飛んできた。
そんな綱渡り的に仕事をしているのであれば、当然楽しいなんてみじんも思えないし、乗り切るので精一杯だった。
でも今って全く違くて、自由に取捨選択できる。
自由に取捨選択出来るからこそ、「やらされているんじゃなくて、自らで選んでやっている」
多分、この自主性というところが、物事を楽しくするスパイスなんだと思います。
やらされている仕事や、他人から作られたノルマ。
それって実際に、達成したところで、
自分が向かいたかった道とは違う。
だから達成した喜びって特に無い。
喜びよりもむしろ安堵感の方が強いと思う。
「あぁよかった。今月は誰にも怒られない」って。
でも、個人でのビジネスをする際って、達成した喜びが本当にドーパミンが溢れ出す、最高の瞬間。
そんな本当の仕事の楽しみを個人でビジネスをするようになって気づきました。
これって、年齢を追うごとに、わさびのうまさに気づいた、そんなときに似ている気がする
小さい頃は、甘いもの=美味しいもの、だったからアイスだったり、お菓子だったりが
大好物だったし、これらがあれば、一生生きていける気がした。
むしろわさびなんて、「大人はなんで辛い物をわざわざ食べるの?」って思っていた。
でも今は、甘いものはクドいし、そこまで食べられない。
むしろ、刺身とかお寿司とかにふんわりと香るわさびが、最高なスパイスに感じる。
自分が立てた目標を達成する過程。
これがめちゃくちゃ面白いし、楽しいと感じる。
もちろん最初から上手くいく訳じゃないから、何度も何度も試行錯誤するし、結果が出ないときは、もちろん苦しい。
でも自分の脳を100%信じて、活路は絶対にあるって模索する。
模索しているそんなときに、少しの光が見えて来て、全力で試してみる。
すると、今までの苦労が嘘のように、事柄が好転していく。
これを世に「ブレイクスルー」って言うんだけど。
そんな瞬間に、ドーパミンが「ドバァッ」と噴出するように何とも言えない、達成感を味わえる。
この瞬間がめちゃくちゃ楽しくて、最高に仕事が楽しいって思える。
「あぁ。個人でビジネスしてよかったな」って。
仕事を楽しくするのは、自分次第だった
もちろんこれは、サラリーマンの内にも出来ることだし、個人でビジネスをしている人だけの特権じゃない。
だから、仕事を楽しくするって、ある種、工夫することで、誰でも出来るんだと思う。
でも、「自分が目標とした物に近づいているか?」
と言う点だと、間違いなく自分が選んだ道の方で目標を達成していく方が、確実に目標へ近づいている。
だから、ボクは個人で、自分の好きなことをやっていた方が、遥かに高い生産性を生めたんだと思います。
「会社のために」
「社長のために」
ごめんだけど、赤の他人のために、そこまで頑張れなかったし、頑張るつもりも無かった。
もっと身近な友達、家族、親戚。
そんな人達のための方が頑張れた。
そしてそれが、自分が掲げた目標に近づけるなら、尚更踏ん張れた。
「だれかのために」
そのだれかのために、は結局回り回って、「自分のため」だった、ということに最近気づいた。
もちろん全員が全員に当てはまることじゃないと思います。
サラリーマンとしての仕事も素晴らしいと思うし、その仕事が楽しいと思えるなら、全然いいと思う。
でもボクは、自分が信じた道を進んでよかったって今100%思える。し、後悔は1ミリもありません。
そのおかげで、昔大嫌いだった「仕事をする」ということが、楽しいとさえ思えるのですから。
「目標に向かって突き進む」
これがどれほど楽しい物なのか、今更ながらに知りました。
それは自分のためにビジネスをして来たからこそ知れた事実でした。