昨日ちょうど、クラブW杯の鹿島アントラーズとレアル・マドリードの試合を見てました。
ここから、ただのサッカー好きの談義が続くだけなので、あまりサッカーに興味のない方は閉じてしまってください。
一応ただのサッカー好きと行っても、Jクラブの下部組織でプレーしてて、同学年で当時一緒にプレーしてたチームメイトが3人ほどプロに行ってます。
なので、自分で言うのはなんですが、そこそこはサッカーのことが語られると思います。
鹿島アントラーズ対レアル・マドリードを見て思ったこと
んで。
昨日鹿島アントラーズ対レアル・マドリードを見て思ったのは、「やっとスタートラインに立てた」ということでした。
多分「スタートラインに立つ」という見方をするのであれば、前回戦った鹿島対レアルの方が、接戦を繰り返してたし、レアルを追い込んでたしで、いい勝負をしてました。
なので、前回の試合の方が、「ようやく日本も世界と同じスタートラインに立った」
「世界ともいい勝負ができる」
そう思う人は多いでしょう。
でもボクは、前回2:4で負けた試合より、今回戦った1:3の方が「スタートラインに立てた」と感じました。
1:3と見ると、前回との点差と変わりない。
でも今回の試合内容は後半の最初に既に3失点していて、レアルは手を抜いた矢先、やっとの思いで1点取った鹿島。
要はレアルの圧勝といえば圧勝でした。
なので試合内容だけで言えば、前回の方が余程いい。
だから、今回の鹿島対レアルは、「世界との差を感じた」という人が結構多いと思います。
でもボクの意見は変わらず、「やっとスタートラインに立てた」という感想でした。
ずっと気になってた、過剰なまでの「憧れの存在」
サッカー批評となると、いの一番に目を向けるのが、「選手のプレー内容」
ベイルは兎角早い。
マルセロのタッチライン際での縦へのボールの早さ。
モドリッチのFWとDFとの距離感がいい。
まあ多くのサッカー批評って選手に向けられる。
だけど、ボクはそこじゃなくって、「解説」は元より、それを見ている「観客のレベル」が、
これまで一番気になってた。
一言で言えば、「とにかく持ち上げる」
昔にレアルが日本に来た時は、ベッカムがサイドチェンジすれば、「うぉぉぉぉぉ!!」と観客はうなるし。
ロベカルがミドルシュートを打てば、会場がどよめいてた。
「ロベカルすげぇ!!」「ベッカムうめぇ!!」みたいな。
もちろん上手いプレーに歓声を上げるのはいいけれど、それ以上に「過剰すぎる」ほど、「レアルだからこそ」歓声を送っていたように思う。
じゃあ、日本の選手たちが、サイドチェンジできないほどキック力がないか?って言うと、当時から全然そんなことはないし。
Jリーグでミドルシュートが入っていないか?って行ったらそんなことはない。
さほどすごくないプレーであって、日本人でも余裕にできるプレーなのに、「レアルだから」が先行して、過剰すぎるほど歓声を上げる。
もちろん精度や、細かなうまさはレアルはうまいけど、日本人がそこまで下手か?って言われたらそうは思わない。
でも日本人が同じことをやっても歓声はわかないけど、ベッカムやロベカル、フィーゴがやれば、観客は沸く。
ボクはそれが大っ嫌いでした。
またそれに拍車をかけるように「解説と実況」も持ち上げる。
「うぉぉぉぉ!今のロナウドのプレーは上手いですねぇ!!」
「さすがレアルだ!」
みたいな。
選手は必死に戦ってるのに、解説、実況、観客は、レアルの「サーカス」を見ていて試合なんて見ていない。
ロナウド(ブラジル)、フィーゴ、ロベカル、ベッカム、グティ、なんかがいたレアルが日本に来てた頃は、そんな感じがしてました。
それが前回の鹿島対レアルで少し変わった。
倒す相手にレアル・マドリードがいただけ
「憧れのレアル」じゃなくって、「日本の鹿島」が勝てる。
そうやって実況も解説も、「サーカス」じゃなく、「試合」を見始めたような気がしました。
だから、モドリッチのプレーやクリロナーのプレーに、一挙手一投足するんじゃなく、きちんとレアルの穴を分析し、「日本の鹿島」が勝てるための戦略を解説する。
ようやく憧れが抜けて、サッカーの試合らしい解説が前回の時から見れるようになった。
おそらく選手間同士では、だいぶ昔から「憧れ」なんてない。
レアルだろうと、どこだろうと、「倒すんだ」と。
そうやって選手はメンタル面を鍛えてたと思います。
まさに中田ヒデが世界に行った頃から。
でも観客や実況のレベルはずっと昔のまんまだった。
「レアルを憧れで見る」
それが前回から少し上がって来て、「対等な相手」として見るようになった。
だから、「観客や実況、そして解説」を含めた選手以外が、やっと「スタートラインに立てた」という風に思ったんです。
日本には「ミーハー」と呼ばれる層がいて、W杯だけを応援するファンなんかもいるし、W杯の時だけ渋谷に集まり、スクランブルでクラッシュする、変なファンも多いけど。
良いファンも悪いファンも、全て含めてスポーツのレベルは、ファンのレベルによって確実に向上する。
スペインなんか、普通のおっさんがサッカーの戦略を熟知してたりするし、ブラジルなんかでは、全財産を投げ打って、試合を見に行く資金にしたりする。
強い国は相乗して、ファンのレベルが高い。
だから日本サッカーが強くなるには、選手個人のスキルを伸ばすことも、当然大切だけど、「ファンのレベル」が上がることも同様に大切になってくる。
だから今回の鹿島対レアルを見たときに、そして実況解説を聞いたときに、「単なるリスペクトを送る存在ではなく、倒そうとして戦ってる。」そんなことを感じたので、「スタートラインに立てた」と思ったんです。
監督:岡田武史の解説は最高だ
憧れを持つのはいいけど、持ちすぎるのはいけない。
過剰にリスペクトし続けてれば、一生憧れのまま。
同じフィールドで戦おうとしてるんだから、目標は憧れの選手とプレーすることじゃなくて、戦い倒すこと。
選手はだいぶ昔からすでに「世界」を意識してたけど、観客実況解説、全て含めた「ファン」はどこか世界を意識してなかった。
それが昔と今でと、まるっきり違う。
クラブW杯の初期の頃の城彰二なんか結構酷かったです。
「さすがレアルですねぇ〜〜〜!」
みたいな。
でも「レアルと対等」というそのきっかけを作ったのは、多分岡田武史でしょうね。
ボクはあの人が大好きです。
解説も的確だし、冷静に相手を分析してる。
それは下馬評で行ったら全然勝ち目がない相手だろうと、全く変わることなく。
前回の鹿島対レアルでも、唯一「これ鹿島にチャンスありますよ」ってレアルを「リスペクト相手」じゃなく「対戦相手」として見てたのは、岡田監督だけだったように思う。
今回の鹿島対レアルも、レアルに賛辞を送るのではなく、「ベイルの所以外、決定機が作れない」「レアルは今、プレスが弱い。だから鹿島はもっと攻めるべき」
そんな風に、「リスペクト相手のレアル」じゃなく「対戦相手のレアル」を分析してました。
多分岡田監督はフランスW杯で日本の指揮をとり、その後の南アフリカW杯で、日本代表の指揮をとった経験から、日本の中でも最速で、「世界との距離」を詰めてた唯一の人だからだと思います。
だからこそ、ただ単にマルセロ、ベイル、ベンゼマ、モドリッチにリスペクトを送るのではなく、「勝てない相手はいない」ということから、「勝つための道」を見据えてたんじゃないかなと。
その岡田武史監督の解説を元に、城彰二も解説の人も、「たしかに、今レアルは隙がありますね。」「レアルのプレッシャーが弱い」「ベイルの左サイドだけ潰せば、決定機は作れない」
そうやって、岡田監督を筆頭にした結果、昔にあった過剰な賛辞が実況陣から消え、本来の意味である「鹿島対レアル」が行われたんだと思います。
1:3で負けたけど全然恥じることない試合だった
負けはしてしまいましたが、素晴らしい試合でした。
バックパスの凡ミスがあり、リズムが崩れて、立て続けに失点してしまいましたが、昌子源を筆頭に、全然臆することないいい表情をしていたように思います。
特にリスペクトを送るだけのサーカスを見てるような実況を行なっていた「解説陣」は、そこにはもういなくて。
選手たちはすでに世界を見据え戦い、解説実況を含め、「ファン層」も世界を見据えるようになった。
レアル・マドリードをそれ以上でも以下でもない対等な目線で見定められるようになった。
だからこそ、「スタートラインに立てたな」と思ったんです。
中田ヒデも本田圭佑も言ってますが「日本人は練習ではどの国の選手よりもうまい。でもそのうまさを試合で活かす術を知らない」
そんな風に二人は対談で言っています。
要するに、個々の能力はすでに世界との対等なレベルにある。それをまだ活かしきれていない。
ということは、そこで次に日本サッカーに必要なのは技術を活かしきる「勝者のメンタリティ」
そんな勝者のメンタリティを解説から垣間見た試合でした。
面白かったです。
頑張れ!鹿島!
PS
やっぱサッカーのことになるとだいぶ長くなってしまう。
それだけサッカーは大好きです。
最後に「勝者のメンタリティ」って言葉が出ましたが、鹿島のテクニカルコーチに就任した「ジーコ」が10万人を前にプレーすることに鹿島選手がプレッシャーを感じてるとき、こう言ったそうです。
「10万人なんて大したことない。俺は20万人の前でプレーしたことがある。それを考えたら10万人なんてちっぽけさ。」
そんなことを鹿島の選手たちに言って励ましたそうです。
いやー。
基準値がバケモンです。
でもこのジーコの言葉で鹿島の選手は計り知れないほど勇気付けられたでしょう。
自分のキャパって自分で決めてることにいつの日か気づく。
要するに自分の限界は自分が決めるということ。
でも隣の畑を見て見たら、他の人はもっと大きなキャパの元行動しているものだと悟る。
すると今までのキャパが大したことなく思える。
「10万人なんて大したことない。俺は20万人の前でプレーしたことがある。それを考えたら10万人なんてちっぽけさ。」
ジーコがこう言ったように。
これってどの分野でも自分の限界を超えるために大切なことなんだと思います。
(かっけえわ。ジーコ。)
そんなことをジーコの一言から思いました。