今回はタイトルにある通り。
「自己中心的な人」に関して、面白いことを知ったので、それをシェアしておこうと思います。
普通の人間からすれば、「あの人なんであんな自己中でわがままなんだろう?」って感じる行動をする自己中な人っていますよね。
僕も何人かの知り合いはそんな自己中な人がいて。
彼らの行動を理解できなかった訳ですが、今ではもう納得してしまっています。
それは自己中の性質を知ってしまえば、もう「脳の構造上、仕方がないんだな」と思いましたね。
結論から言ってしまえば、自己中心的な人間は記憶の改ざんが、無意識化で行われていることがわかっています。
なので、いっていたこととやっていることが違うとか。
なんで、私にはするなって言ってきたのに、自分はやってるの。
そんな自己中とうまく辻褄が合わないシーンってよくあると思いますが、これは記憶が改ざんされているため、ある意味しょうがないと言えるでしょうね。
ヤバい自己中の特徴
まずは根拠から。
この自己中に関して、研究を行ってくれたのは、チューリッヒ大学などが行った研究が元になっていて。
この論文では、被験者となる3190人に集まってもらい、それぞれの被験者の性格診断テストを行ってもらいます。
性格診断テストと聞くと、僕ら庶民に馴染みのあるものといえば、「血液型テスト」なんかが思い浮かぶし。
A型=几帳面
B型=わがまま
O型=おおらか
AB型=二重人格
もうこれだけの決めつけをするのが、血液型テストですが、当然と言えば当然の話で。
ここで行われている性格診断テストはそんなレベルでは決してありません。
(血液型と性格との相関性は科学的にほとんど認められてないですしね。)
さらに細かい部分な精密なテストを図り、被験者の性格をより細かく分析していきます。
そこで「利己的である」や「自己中心的な性格」など、人物の性格を把握した上で、5つの実験を行なっていきました。
ちょっと多くなってしまうので、2つほどに割愛しておきますが、まず行った研究というのが、被験者にお金を渡して、一定の金額寄付するようにお願いします。
その上で、寄付する金額を申告してもらい、「実際に寄付した金額を正しいかどうか」をチェックしていきました。
さらには、申告した金額と寄付した金額が一緒だった場合に、さらに報酬を渡すことを被験者に伝えました。
ちょっとごちゃごちゃしてしまったので、ここまでの流れをまとめると。
- お金を渡す
- 寄付をお願いする
- 寄付した金額を申告してもらう
- 寄付した金額と申告した額が同じなら、追加報酬を渡す
こんな順番ということですね。
普通であれば、寄付した額と申告した額が同じであれば、追加報酬をもらえるので、嘘をつく必要はないように感じますが、自己中心的な人は驚く行動をとっていることがこの研究で判明しました。
事前のテストによって、利己的または自己中心的な人物であると診断された人は、「寄付した金額を低く伝え、実際の申告額と一致しない」ということが判明しました。
例えるなら、1万円渡され、研究者には「5千円寄付しました」と申告したのに、実際には100円しか寄付していなかった。
そんなことが起こっていたのでした。
これは普通の人であれば、想像もつかないことですが、その想像もつかないことを自己中心的な人物は平気でやってのけたのでした。
また、普通のであれば「寄付した額と申告額」は研究者には筒抜けなので、嘘を言ってもバレるのにも関わらず、嘘を申告していることも、後々に理由がわかってきます。
それは後に置いておいて。
平気で嘘をつく
その前に、もう1つの実験を解説しておくと。
次の実験は複数人の被験者を集め、グループに一定のお金を渡します。
その上で「公平に分けてください」というふうにお願いし、いくらのお金が渡ったのかを観察していきました。
もし仮にこの金額が1万円で、五人のグループであれば、2000円づつ分けるのが、公平な分け方。
しかし、自己中心的で利己的な人物というのは、自分だけ多くもらい、あたかも公平にお金を分けたと申告する割合が多く現れました。
例えるなら、自分だけ5000円をもらい、他の被験者には五千円を分け与え。
研究者には「一人2000円づつ分けた」という風に申告したのでした。
なぜバレる嘘を平気で吐けるのか
この実験においても研究者には筒抜けの話で。
嘘を言ったところで、見破られることが明確なのにも関わらず、嘘の申告をする。
ではなぜ。
嘘だとバレるのにも関わらず、自己中心的な人物は嘘の申告をしたのか。
これは「自己中心的で利己的な人は、無意識な状況下で記憶の改善が行われている」ため、嘘の申告をしたことが理由だとされています。
というのも。
この研究である通り。
1万円を渡されて、寄付する。
その際に、申告した額と寄付した額が一緒だった場合、追加報酬がもらえるとした時。
普通の人であれば、嘘をつく理由が見当たりません。
また僕らの性格上「強欲」という欲求が存在し。
「多くのお金を受け取りたい」という欲求も存在します。
でも、どちらにおいても整合性がとれず。
もし仮に「強欲」という欲求が強く、多くのお金が欲しいと思えば「嘘を言わない」方がお金をもらえるし。
嘘を言うメリットもなければ、「嘘がバレる」と言う羞恥心さえ生まれるのが、普通の人の感情です。
しかし、自己中心的な人は、その羞恥心もなく平気で嘘をつく。
ちょっと常人には理解できません。
ただ、これが「無意識化の記憶の改ざん」が行われていたとするのなら、全てに辻褄が合う。
要するに、意識をする前に、記憶が変わり。
少ない金額しか寄付していないのに、多く寄付した方が格好がつく。
と認識した場合、本当は「100円」しか寄付していないのに、「俺は五千円寄付したんだ」と記憶の改ざんが行われる。
しかも、無意識のうちに行われているため、自分では気づけない。
だから嘘をついてもなんのメリットもないのに、自然と嘘をついてしまっていた。
そんな現象が確認されたんですね。
実際に研究者もコメントとして言っているのが。
「利己的な人も自己中心的な人も、多くが良い人でありたいと願う欲求が存在する。
その上でわがままで利己的な行動をとってしまう人間は、良い人であることを守るために一番都合の良い方法が記憶の改ざんであった。
良い人であることを保守するために記憶の改ざんが無意識化で行われている可能性が高い」
そんな風にコメントしています。
だから僕ら常人では理解できない嘘を、100%バレる状況なのにも関わらず平気でつくことができる。
と言う訳なんですね。
いやはや恐るべし。
応用方法
では次に。
こうした自己中心的な人と職場で一緒だとか、学校のクラスにいる、という場合はどう対応したらいいのか。
その応用方法について解説していこうと思います。
基本的には無視が一番
まず一つ目に考えられるのは「無視」です。
正直、応用方法として自己中心的な人へは、できることであれば、無視するのが一番被害が少なくなります。
なので、なるべく付き合わない方向で済むのであれば、付き合わないようにするのが賢明。
一つ目はシンプルに無視をする、という方法ですね。
必要最低限の話だけする
その次に、どうしても職場や学校などで付き合いが発生してしまう場合に対して、自己中心的な人と接する方法として考えられるのが、必要最低限の話で済ませる、という方法です。
ここで気を付けなくてはいけないのは、自己中心的な人というのは無意識の中で、記憶の改ざんが行われています。
そのため、仲良くなってしまうと言ってもいないことを、あたかも真実かのように言う可能性がある。
「お前のこと嫌いって言ってたよ」だとか。
「○○(自分)が、お前のこと仕事できないって言ってたよ」だとか。
このように言ってもいないことを言いふらしてしまう可能性が考えられるので、なるべく深入りせず、必要最低限の話だけをして済ませる。
そんな対応方法が考えられます。
なるべくなら、深入りせず、自分の本心やプライベートな関係まで作らないことをお勧めします。
記憶が改ざんされることを伝える
ただ、どうしても関係が切れない間柄の人もいるかと思います。
よくある姑問題とかで、姑が自己中心的な人だとかね。
そういう場合は、自己中心的な人に集まる「普通の人」に対して、今回のチューリッヒ大学の研究を伝えるというのが、かなり効果的な対応になると思います。
関係が切れないので、自己中な人の言っていることが「おかしい」という風に認識してもらう必要がある。
でも、僕自身もそうでしたが、今回のチューリッヒ大学の研究を知るまで、こんな簡単に嘘をつく人がいるとは思わなった。
ましてや、「嘘をついている」という自覚なしに、平然と嘘をつく人がいることにも驚いた。
(事実、チューリッヒ大学の研究では、バレバレの嘘をつき続けていたわけですから。)
なので、今回のチューリッヒ大学の研究を知らない人からすれば、「そんな簡単に嘘をつくはずがない=どこか真実なのでは?」と考えてしまうのも無理はありません。
嫁、姑問題で、旦那さん(姑からしたら息子)に対して「あなたの奥さん、不倫しているわよ」なんて言われたら、当然旦那さんとしては信じますよね。
でも姑が自己中心的な人であれば、どこかで記憶の改ざんが行われ、平然と嘘をつく可能性だってあるわけです。
例えばテレビを見ていて、ある俳優がかっこいい、と伝えただけなのに、
かっこいい
↓
タイプ
↓
浮気願望がある
↓
不倫している
こんな風に被害妄想が進んでいって、「=不倫している」となってもおかしくはない。
だから、自己中心的な人はこうなっているんだ、というメカニズムを伝えてあげるのも、一つの手だと思います。
ケーキの切れない非行少年たち
ちょっと余談になってしまうんですが、このチューリッヒ大学の研究を見たときに、かなりぞっとしたんですよね。
っていうのも、このチューリッヒ大学が研究で報告したことと、ケーキの切れない非行少年たちという書籍の中でいっていることが、全くおんなじだったからなんですよね。
この「ケーキの切れない非行少年たち」は前に結構話題になりましたし、知っている人も多いと思います。
僕自身発売されてすぐに読んで、その感想なんかもブログ記事にしていたりします。
読んでいない人のために簡単に説明すると、医者の人たちから見た少年院にいる非行少年たちの特徴をまとめた本で、正常な人たちからすると、本当に考え方や思考などが違っていることが綴られています。
記憶の改ざんが起こる瞬間
このケーキの切れない非行少年たちの中で、いろんな話が出てくるわけですが、「なぜ人を殺したらいけないのかわからない」だとか「なぜ暴力を振るのがだめなのか知らない」という風に、僕らの道徳から逸脱した受刑者がいたりします。
この原因なんかを詳しく心理分析し、まとめたのがケーキの切れない非行少年たちなわけですが、そこでも「記憶の改ざんが行われる」という風に言うんですよね。
というのも、非行に走る少年たちのほとんどは幼少期に何かしらの問題を抱えていると話します。
ある一人の受刑者は小さい頃に鬼ごっこをしようとしたが、仲間外れにされたことをきっかけに非行に走るようになったと紹介されていました。
ただ実際には仲間外れにされたのではなく、たまたま鬼ごっこがスタートする瞬間に「仲間に入れて」といっただけで、その受刑者のことを避けていたわけじゃないんですよね。
ただその子にとっては「仲間に入れてといった瞬間にみんなが逃げていった=俺のことが嫌いなんだ」という風にトラウマに代わっていきます。
そこから「俺のことが嫌いなら、俺もあいつらに悪いことをしてやる」「嫌いな奴には何をしてもいい」というように極端な解釈になっていく。
倫理観や道徳は全くもってムダ
ただ、普通に鬼ごっこを遊んでいた同級生からすれば、「別に仲間外れにしていないのになぜ?」という風に思うでしょう。
これは一つの例で、捉え方によっては「可哀そう」「仲間はずれに思われても仕方ないタイミングだった」と思う人もいると思いますが、結果として引きおこるのは被害者と加害者であり、加害者側は「なぜ人を殺してはいけないの?(嫌いな奴を)」という解釈につながっていくわけです。
そして、この記憶の改ざんから解釈の違いが大きくなっていった結果、「ケーキを3等分に切れない」という現象にまで至り、道徳観や価値観が異なっていってしまうとケーキの切れない非行少年たちでは語られるんですね。
この本を見たときに結構衝撃だったんですが、まさに今回のチューリッヒ大学の研究でも、同じことが報告されていて、びっくりしました。
と、同時に正常な人とサイコパスやシリアルキラーと呼ばれる犯罪者とでは「考え方が180度違う」ということなので、諭したり促したりしても全く持って無駄だということを知ら占められました。
もちろん、ここまで行く犯罪者がすべてではないでしょうが、ある種自己中心的な人も「記憶の改ざん」という点では同じなので、「諭してもムダ」ということに関しては共通するのかなって思います。
終わりに
詰まるところ。
これらの研究を見てみても、自己中心的な人の行動は理解できないし、平気で嘘をつく。
しかも当の本人は、記憶の改ざんが行われている上に、「記憶の改ざんが行われている」と言うことにすら気付いていない。
だから、嘘を嘘だと思っていないし、バレる嘘でも平気で嘘を吐く。
これに手の施しようはないし、なるべく関わらないようにするのがベストかなと思います。
そしてこの研究は「自己中な人を見抜く」と言う意味でも使えると思っていて。
「記憶の改ざんが激しい人」と言うのは、自己中心的であなたに危害を加える可能性が高い人物なので、なるべく付き合わない方がいいと思いますね。
ぜひ参考にしてもらえれば幸いです。