新しいことにチャレンジする人がネットで叩かれる理由が判明。

今回はタイトルにある通り。

「新しいことにチャレンジする人が叩かれる現象」に関して面白いことを知ったので、それをシェアしておこうと思います。

まず先に言っておきたいのは、新しいことをチャレンジする人が叩かれるということに関して、「その人が嫌い」だとか「その人のことをねたんでいる」といった個人的な主観はおいておいて。

(上記において叩かれる理由は「その人が嫌いだから」といった、すでに原因が判明しているケースですからね。)

「トライする人が好き」というケースに絞って、「チャレンジする人をたたく」という習性に関して解説しておこうと思います。

イメージするなら、小さいころ親が子供に対して「将来何になりたいの?」とよく聞くと思います。

小さい頃は具体的じゃないので、子供がどんな夢を語ろうがそれに賛同していたのに対して、高校生ぐらいになったとき「ミュージシャンになりたい」と答えれば、ほとんどの親は反対するでしょう。

これは主観的に「その人が嫌い」ということではないケースで、かつ「本来は応援したい」と願っているケースだということ。

こういう状況であっても、「新しいことにチャレンジする人を否定する」という現象が起こります。

これはなぜなのか。

それに対しての回答が出ていますので、今回はそんな「チャレンジする人をたたく理由」に関して解説していこうと思います。

根拠

ではまず先に。

「なぜ新しいことをチャレンジする人を叩くのか」

この答えから先に伝えておくと、「人は潜在意識の中で新しく創造性があることを嫌っている」という素質があることが由来していることが分かっています。

ちょっとどういうことか想像しづらいと思うので、その根拠となる研究を紹介しておくと。

これはペンシルベニア大学が発表した論文が元になっていて。

この論文では200人を集めて、ある研究が行われました。

その研究というのが、200人の被験者に対して「IAT」というものを行っていくものでした。

IATというのは、全米科学財団が開発したテストで、「深層心理」の中に持つ「差別意識」をあぶりだしていくためのテストでした。

イメージするなら、スクリーン上に文字が映し出され、それに関連した単語を瞬時に選択していく、というもの。

例として「英語学」という文字がスクリーン上に表示されたとき、右には「科学または男性」と書かれ、左には「人文学または女性」と描かれいて。

「英語学」は「科学または男性」「人文学または女性」のどちらに属するのか?ということを選択しなければいけません。

このようにして、言葉がイメージするものを結び付けていき、「差別意識がどれぐらいあるのか」といったことをテストする目的で開発されたものでした。

このIATテストにおいて「新しいアイデアや創造性」に対して、どういった意識を持っているのか?ということを、このペンシルベニア大学では研究していったわけですが、面白いことが判明しています。

まず1つ目に、多くの被験者は「新しいアイデアを欲している」と事前に回答していたのにもかかわらず、創造性のある回答に対して「嘔吐」「毒」「苦痛」といった言葉との結びつきを強く持っていることが判明しています。

そして2つ目に、およそ70%の人が独創的なアイデアを嫌い、すでに効果が実証されている実用的な手段を好んでいることが判明しました。

そして3つ目に、多くの人は新しいアイデアを受け入れない傾向にある、ということもわかっています。

つまり、言葉では「独創的なアイデアはいい」「新しい発想を欲している」と言葉にしているのにもかかわらず、実際のところでは「チャレンジ」といった印象を嫌い、受け入れない傾向にある、ということが判明していた、ということなんですね。

これってまさしく冒頭に伝えた「親が子供に将来の夢を聞く」ということ凄く似ている現象で。

言葉では「後悔の内容に好きなことをして生きてほしい」と子供に入っているものの、実際に子供が「チャレンジ」をしようとすると全力で止めます。

「将来不安定な仕事はやめて」「ミュージシャンなんて食べていけない」

そうやってほとんどの親は否定しますが、これは「子供が好きなように生きていってほしい」という言葉とは裏腹に「新しいことにトライすることはやめてほしい」という裏の声が表面だっている、ということが由来しているんですね。

またモノの見方を変えると、「新しいことにチャレンジする人を叩く」というのは、「ほとんどの人は変化を嫌い、独創的なアイデアを否定する」傾向にあるため、たとえその人個人が嫌いではなかったとしても「否定したり叩いたりしてしまう」ということなんですね。

冒頭にも伝えた通り、「主観的な好き嫌い」を除いて、チャレンジする人を叩くという人がいますが、これはまさしく「言葉で発していること」と「心で思っていること」というのがまったく違うため引き起こる現象だ、ということだったわけです。

なぜ人は変化を嫌うのか

では次に。

いったいなぜ人は変化を嫌い、独創的なアイデアを否定しようとするのか。

これに関しては様々な説が考えられていますが、多く引き合いに出される原因が「人間が昔に生活していた原始時代の影響」が強いのではないか、と考えられています。

というのも、はるか昔の原始時代。

あまりにも多くの「不確定事項」に見舞われていました。

明日ご飯が食べられるかわからない。明日猛獣に襲われるかもしれない。明日嵐が来て命を失うかもしれない。

こうした不確定要素の中、自然界を生き抜いてきたのが原始時代でした。

こうした時代背景においては「新しいことにチャレンジする=死」を意味します。

一方で生存確率をもっとも高める方法というのは「昨日生きた方法で今日も生きる」という変化しない、という方法でした。

原始時代では不確定要素が多すぎる環境下だったため、僕らのDNAにも「変化を嫌う」という性質が受け継がれ、今なお「新しいことにチャレンジする人を毛嫌いする」ということにつながっている、と考えられているわけです。

まとめ

少し長くなったので、最後にまとめていきながら占めていこうと思いますが。

新しいことにチャレンジすることを叩く理由は、「変化が嫌い」だから。

しかもそれは言葉で「頑張れ!」と言っていたとしても、深層心理の中では全く違うことを考えているケースが多く、実際に行動したとき深層心理の言葉が出てくることで、表面化する。

だからこそ、親が子供に対して「幼少期の時の夢は応援する」のに対して、「青年期の夢は否定」する。

その理由は「原始時代」より培われた環境が、現代でも受け継がれたことが原因だと考えられている。

そのため、チャレンジする際には「人は変化を嫌う生き物だ」ということを念頭に置いておき、批判を受けることをあらかじめ準備しておく必要があるかもしれない。

まとめるとこんな感じですね。

叩く方も本能としての反応をしているだけなので、悪気はないのかもしれません。

反射的に「知らないことや変化」を嫌っているだけなので、周りの声は無視してチャンレジするのがベストかと思います。

ぜひ参考にどうぞ。