「出雲大社に行ってきた感想。ちょっと不思議な出来事が起こった話も」
あいにくの台風が来ていたこともあって、ちょっと観光して2日目を終了したわけですが、旅行の3日目である翌日。
今回の旅の目的である、島根県にある世界遺産:石見銀山へ行っていました。
石見銀山へゴー
鳥取の時と変わらず、のどかな田園風景が続いてて。
鳥取から島根にかけて、ロマン街道なる道が存在することにびっくりしてました。
ロマン街道というだけあって、ある程度シティに住んでる僕らからすれば、ロマン溢れる情緒ある町並みが横いっぱいに広がって。
(高速が1車線で、無料区間が恐ろしく長いことにもびっくり笑)
ドライブしている時も全く飽きずに、石見銀山に到着しました。
ちょっとピラミッドのような石段が。
石見銀山の観光センターへ到着。
僕って世界遺産に関して、ある程度調べてから訪れたりするんですが、この石見銀山に至っては、ほとんど調べることなく来てしまって。
「なぜ世界遺産なのか」
「石見銀山とはどう行ったところなのか」
ここら辺の知識が全くの皆無でした。
少し車内で調べたのですが、「当時の世界ではこの石見銀山から取れた銀が世界の三分の一に匹敵した」という流通量を誇ったことはある程度わかったのですが、それ以上の知識はなく。
みていく中で、「世界遺産たる所以」と、「石見銀山とは」というところを肌で感じていければいいなと思ってました。
とりあえず、石見銀山世界遺産観光センターという場所へ入っていくと、展示物の他に、「石見銀山まちあるきマップ」なるものがあったのでみてみると。
かなり多くの施設や場所、通路などが、町歩きにオススメされていることがわかる。
これはこれまで数々の世界遺産を回ってみて初めて知ったことですが、世界遺産って「わかりやすいポイント」とは限らないんですよね。
(そんなことも知らんアホだった。恥)
原爆ドームのように、「ドーム」というわかりやすいポイントが世界遺産になっているパターンもあれば、平泉のように様々なお寺や庭園、遺跡などが合間っているパターンなど。
大きな場所か個別のポイントか。
世界遺産といっても結構範囲が広いことを、初めてみて回ったことで知りました。
(アホやわ〜。:2度目)
この石見銀山も、一つのおっきなポイントがあるのかっていうと、そうではなく、数々の銀山があるこの土地と銀を流通させた港を含め、全体が世界遺産と指定されているようでした。
なので、石見銀山って結構広い。
事前に場所をグーグルマップで調べたときに、レビューを見てみましたが「1日潰す感覚で見ないとダメ」だとか、「自転車を借りて回ったほうがいい」というレビューが結構目についていたので、ある程度は予想していましたが、結構行動な土地が「世界遺産:石見銀山」となっていました。
「これは俺らだけじゃ石見銀山の歴史を知ることはできないな」
ってことで、ツアーに参加することに。
結果的にツアーに参加して間違いなかったですね。
ちょうど表に出てみると、ツアーの最終便が13時半から行なっていたのでそれに申し込み事前の説明を受けることに。
どうやらこのツアーは平日にはやっておらず、金土日祝日だけしかやっていないのでラッキーでした。
この石見銀山観光センターの中にある模型を使って、ガイドさんが「どこまでが世界遺産か」を照らして説明してくれました。
この光で照らされている場所が、石見銀山としての世界遺産なので、その大きさがわかるかと思います。
(やっぱガイドなしで回るなら、自転車は必須で、1日潰すぐらいで見て回ったほうがいいですね。)
なぜ石見銀山が世界遺産なのか
ガイドの方が、事前の説明ということで、ツアーに出発する前にいろんな話をしてくれました。
まずざっくり。
なぜ石見銀山が世界遺産となったのか。
それを簡単に言えば、「世界との交流」が挙げられて。
当時世界の三分の一の銀が、この石見銀山から取れたと言われています。
ガイドの方は、世界2大鉱山の1つという風にも言っていました。
そのため、多くの銀が流通すると同時に、多くの人々や文化が入って来て、今でいうグローバル化と文化交流、経済の発展につながったっていうのが、シンプルな石見銀山が世界遺産たる所以だそうです。
僕は最初「銀」と聞くと、少しばかりショボく感じてしまいましたが、全くそうではなく。
当時銀は、金よりも高かったもの。
今でこそ、金がグラム7600円、銀が88円ぐらいの値段なので、圧倒的「金」に価値があるものでしたが、当時の銀は金よりも高価なもの。
それがこの日本では大量に取れた。
だから海外からは「銀の国」という風にさえ言われていたそうです。
こんな感じで当時は銀を掘っていたらしい。
また当時は今みたいに、ダイナマイトがあるわけじゃないから、タガネと呼ばれる鉄を打ち付けて、掘り進めていくような感じで。
かなり途方も無い掘り方をしていたことがわかります。
また、フランシスコザビエルが、キリスト教を伝来しに日本に来たわけですが、その来日するきっかけに、この石見銀山があったという風にガイドの方がおっしゃっていました。
「なかなかキリスト教が布教しない」とのことで、困った宣教師たちが「チョコ」や「パン」といった甘いもので釣る作戦を使ったという話もしていて。
その後キリスト教が布教していき、そのことを危惧した江戸幕府が禁教令を出すわけですが、そんな歴史の一端を垣間見れました。
時の権力者が喉から手が出るほど欲しがった場所
あと興味深かったのは、この石見銀山は、当時の権力者が喉から手が出るほど欲しがった場所だということ。
その証拠に、この石見銀山の所有者は十人以上も変わって言った歴史があり、その山のちょうど見晴らしの良い場所に「監視所」が必ずあったりします。
また豊臣秀吉が明智光秀を討った戦国時代。
この石見銀山を保有していたのは、当時毛利元就を筆頭にする毛利家だったそうで。
その時代に、豊臣秀吉が天下をとるわけですが、石見銀山をよこせという命令を、毛利家に伝えたのですが、秀吉が天下をとるとわかった途端に、毛利家は朝廷にこの石見銀山を献上したそうです。
そして秀吉から「石見銀山をよこせ」と言われた際に、「朝廷に授けたので渡せません」というようにしてこの石見銀山を渡すのを防いだという話もガイドの方がしてくれました。
権利者が十人以上も変わっている歴史から、その時の権力者の誰しもがこの宝が掘り当てられる鉱山を欲しがっていて。
今まさにその場所に来ているということを実感してました。
大久保間歩ツアーに参加
ある程度の説明を聞いて、その石見銀山の凄さと歴史を知った後。
いよいよ鉱山の中へ入っていきます。
僕らが参加したのは、大久保間歩の坑内ルートを散策するツアーでした。
バスに乗って、大久保間歩に向かいます。
大久保間歩の入り口に到着。
坑内入り口に向かって歩いていきます。
この場所は、江戸時代、入山するものが「何者なのか」「入山証を持っているか」「銀を持ち帰っていないか」などを監視する場所があったそうで。
結構木々も高々しい。
どんどん前に進んでいきます。
15分〜20分ぐらい歩いてようやく坑内入り口へ到着。
ガイドの方を先頭に入っていきます。
この時は夏場でしたが、大久保間歩内は13度。
なのでツアー時には、長袖を貸してくれましたが、マジで涼しい。
この13度の風が、かなり入り口から離れたところでも感じられるので、ツアー参加者は「神風だ」なんて言ってましたね。
でもそれぐらい涼しいです。
ガイドさんが「あそこが足場を作ったポイントだよ」だとか。
「ここから上が江戸時代のもので、ここから下が明治の時代に掘った場所だよ。」
と色々説明してくれながら進んでいきます。
どうやら明治時代になってから再開発された場所らしく、トロッコのレールが走っていたり、「綺麗に削った場所」と「荒く削った場所」とに階層分かれています。
これはさっきの画像でもあった通り、「釘とトンカチ」のようなもので掘り進めていったのか。
それともダイナマイトなどで掘り進めたのかの時代の差で、それが如実に大久保間歩内では現れていました。
こんな感じでツアー参加者と一緒に見て回ります。
この石見銀山では当時の生活から考えると、かなりの高級取りだったらしく。
賃金は相当よかったそうです。
また、怪我や病気になった場合の社会保障もかなり手厚く保護されていて、他の鉱山では「労働環境を石見のようにしてくれ」という話さえ持ち上がったことも話してくれました。
ただその分、真っ暗な鉱山の中で作業をし、明かりを灯すためにロウソクのようなものを点灯させるため、病気などになるリスクが高く、平均寿命もかなり短かったようです。
そのための社会保障と高給なんでしょうね。
多分今に当てはめると、原発と少し似ているのかなとも思いました。
そんな実労働者の生活の話を聞けたのもツアーならではでしたね。
この大久保間歩以外にも、石見銀山への入り口は存在していて。
排気口としての役割だったり、入山する入り口だったりと、数々存在します。
これは排気口の役割だそうで。
銀山ということもあってか、かなり自然豊かな場所でした。
銀山へ行った感想
そんなこんなで2時間ぐらいツアーに参加したわけですが、漠然とその概要がつかめた感じはしました。
多分ツアーに参加しなければ、大久保間歩のような細部まで入ることはできなかったでしょうし、石見銀山の歴史を知ることもできなかったと思います。
なので、もし行く機会があれば、ツアーに参加した方が、石見銀山の歴史や概要なんかはわかりやすいのかなと思いますね。
「銀」と聞くと、僕らは「なんだ銀か」って感じがしますが、当時は金よりも高価なもの。
だから今の感覚で言えば、金の山と捉えるのが、しっくりくるかなと。
その金以上の価値である銀が、世界で流通している3分の1の量を、この日本で取れたということが、どれだけ価値があることで。
なおかつ、それを目指して多くの外国人が、この日本を目指し「銀の国」と命名したのか。
その影響力は思ったよりも大きいもので。
経済だけでなく、文化や宗教、食などにも影響をもたらし、時の権力者が皆欲しがった山。
それが石見銀山。
そんなことを実際に行って見て感じました。
そんな石見銀山を後にし、昼食を食べ、高速に乗って帰宅。
定食屋さん1つとっても、めちゃくちゃ景色がのどかな街並みでしたね。