この前読者の方から「ブログを作るのには才能が必要ですよね?」って言うコメントもらいました。
もう面白いすっね。
うん。
こういう人は、何をするに対しても才能っていう言い訳を出してくるんで。
まぁ、ブログでは才能が必要って思っておけばいいんじゃないかな、と思います。
才能がなければブログで稼げない?
じゃあ仮に.ブログで稼ぐには才能が必要だったとしましょう。
もしそうだったとしたら、もうこの世の中全てが才能ですよね。
ブログって言うメディアを才能とするならTwitterでつぶやくのも才能ですし。
Facebookで記事を投稿するのも才能になりますよね。
だから携帯を持つのも才能に当たるんじゃないかな。
それぐらい「ブログで稼ぐのって才能ですよね。」って、ちょっと何を言ってるか分からないですね。
そもそもブログとは自分が思ったことを、体験したこと感じたこと。
これらをこれから同じ失敗を繰り返さない。そんな有益な情報を「読者の方に伝える」
それがブログの意義なわけですよね。
となるとSNS、TwitterとかのつぶやきであったりFacebookでの投稿だったりも全くブログとおんなじ意味になるわけです。
ブログの本質はFacebookなどのsnsでの投稿の「文字が多い版」って言う解釈で問題ないので。
そうするとTwitterでつぶやくことも、Facebookで記事を投稿することも。
これらも才能と呼ぶことになるんですよね。
いやいや。そんなことないでしょ。って普通に思います。
中学生だってTwitterを普通に使いこなしてるし、今じゃ小学生だってSNSアカウントを持ってたりする。
そう考えると、全く才能なんて関係ないことがわかります。
才能なんて一切関係ない
もちろんメディアとしての特徴の違いっていうのはあります。
ブログっていうのは継続的にアクセスをもたらしてくれる蓄積型のメディアです。
その一方でTwitterとかFacebookっていうのは流動的な横に流れる消費型のメディアです。
こういう違いは当然あるにしろ「文章を書く」って言う点では全く同じで、文章が短いか長いかだけの違いであって、その他は全くおんなじです。
そうするとブログに才能が必要って言うことなのであればTwitterでつぶやくのも才能が必要。
Facebookで記事を投稿する日記を書くのも才能が必要と言うことですよね。
だからこの方がおっしゃってる「ブログに才能が必要」っていうのは全く意味がわからない訳です。
これらを才能って言うのなら、もう日常生活が才能の宝庫です。
料理を作るのも才能。掃除をするのも才能。歩くのも才能。
日々生活するのは全て才能が必要って言うことですよね
。
なので、この方が言ってる意味が尚更よくわからない。
作文書けない。国語が出来ない。それでもブログはかける
じゃあ今ではブログで稼ぐことができている僕ですが、文章を書く才能があったかって言うと全くそんなことはなかった。
このブログを運営する前にライターって言う仕事をしていたわけでもないですし、記事を書くと言う仕事をしたこともない。
ましてや自分のパソコン自体持っていなかった僕が、始められたわけですから、当然才能なんて1つもなかったわけです。
もっと言えば学生の頃に作文を書くことができなかったですし、勉強すらもほとんどしてきませんでした。
なので国語の点数も悪かったですし、文才と言うものがあったかと聞かれれば、全くなかったと言い切れる。
そんな奴でも今こうしてブログで稼ぐことができているわけです。
そう考えると才能が必要って言うこと自体ありえないってことなんですよね。
どのくらいのスキルがあればブログは出来る?
イチローほどの才能持ってないとブログができない。
三浦カズのように歳をとっても継続する力がないとブログができない。
全くそんなことではなくて国語ができなくても、作文が書けなくても1からスタートできるのがブログって言うビジネスなんですよね。
ですから、そもそも考え方が間違ってると言わざるをえない。
でもこれっていうのは、簡単に稼げるって言う事とは全く意味が違うんですけど、その反面継続してれば誰にだってできるって言う事なんですよね。
1文字も書いたことない。
1記事もブログを開けたことない。
そんな人が一瞬で稼げるかっていうとそういうことではない。
ただ記事を書いていく中で、ブログの文章であったり、伝え方であったり、記事の構成であったり。
そういったものは見えてくる。
イチローだって最初から世界的打者だったわけではなくって。
そしてイチローって言う選手の練習風景を見たら才能って言葉が入り込む隙がないほど練習を続けている。
それほどの人をもってしても「自分には才能がなかった」と言うわけですね。
そんな人を見てたらブログで稼ぐのって才能が必要だと言うふうに思っても仕方ないのかもしれない。
ただ、ブログに関して言えばプロ野球選手、ひいてはメジャーリーガー選手になる必要なんて全くなくて。
「中学から高校野球を続けている」
それだけの才能であれば全然ブログで稼ぐことはできると思います。
これは中学高校までの6年間と言う時期ではなく、中学高校の部活を続けるって言う意味での才能です。
中学高校まで部活を続ける。
これって才能必要ですかね。
これって才能は必要ないですよね。
それぐらいのやる気があれば誰にだってブログは稼げるものだと思いますし、才能なんて言う言葉は一切必要のないものだと思います。
ですから、文才とかないけど大丈夫だろうか。って不安に思う必要はないと思いますよ。
終わりに
僕が思うに才能って言葉ってめちゃくちゃ便利な言葉だと思います。
才能って聞けば、絶対に越えられない遺伝子レベルのことの様に思えるし、遺伝子レベルって考えれば、もう変えられないことですから。
身長を今から伸ばすのだって、絶対にできないし、顔を変えることも整形をしない限り無理。
そういう優れた人に向けて「才能があった」って言っちゃえば、それで諦める理由になりますから。
だけど、もし仮に優れた環境にいても、遺伝子として優れてたとしても、少なからず努力しなければそれを開花させることはできないわけで。
まず取り組まなければ、どれだけ能力があってもそれを生かせないわけで。
身長2mを超える人がいても、スポーツやらなんやらで、高い身長を生かす機会がなければ、それは才能とは呼ばない。
でも身長2mを超える人がスポーツをやって活躍すれば、それを「才能」と呼ぶ。
その人がたゆまない努力をしているにも限らず、その努力にも目を向けず。
だから才能って言葉に逃げる人はずるいなって思うんです。
僕はあまり使いたくない言葉ですね。逃げです。