今回はタイトルにある通り。
「反応しない練習」を読んだので、まだ読んでいない人のために分かりやすく要約していきながら、乾燥とレビューを書いていこうと思います。
まず先に結論から行ってしまうと、「反応しない練習」というのは、要するに「すべての悩みは心の捉え方であり、そのとらえ方をきちんと理解することで悩みを解決することができる」
これが本書の結論になります。
つまり、あらゆる心の悩みを解決する本、その方法を描いた本、ということがこの本の本筋、ということですね。
心の悩みのすべては「反応」にある
まずこの本をザックリとわかりやすく解説していくと。
心の悩みのすべては「反応すること」にあると描かれます。
「すべての悩み」と聞くと、「大げさ」なように感じますが、ちょっと耳を傾けて聞いてみると。
僕らは何か一つの「事実」が起こったときに、様々な反応を示します。
ある人が「いいな」と思う反応をすれば、ある人は「イヤだ」と反応する。
例えば、これは僕自身に怒ったことですが、友人とドライブ中に「音楽を流す」ということをしました。
ある時は、音楽が心地よいと感じてノリノリに反応していましたが、ある時はその音楽が「イヤだな」と感じた時がありました。
前者は、そのドライブ中目的地に向かって、意気揚々とした感情を持っていたため「心地よい」と反応していたわけですが、後者は「眠くて静かにしていてほしい」状態でした。
つまり何が言えるのかというと。
1つの事実、ここでは「音楽を流す」という行動をとったとしても受け手の状態やその人によって、「反応が変わる」ということ。
そして、これはどんな悩みにも共通して言えること、ということが描かれます。
上司に注意される=いやな気持になる人、指摘してもらってうれしいと感じる人。
こういう違いが生まれるし、反応も様々。
こうしてみると、まず一つに「おこった出来事」があり、そしてそれに対して「どう反応するか」といったことが、悩みのすべてに共通することになる。
そのため「反応する練習」をすることにより、悩みを理解し、受け入れ、解決することができる。
だからこそ「すべての悩みを解決する方法」として、この反応しない練習として本書が描かれるわけですね。
気づくことの重要性
では次に。
どうやって反応しない練習をしていけばいいのか。
これに関しては「受け入れること」
ここがキーパーソンとして描かれます。
言葉を変えれば「気づく」ということですね。
例えば。
「イライラしてる状態」だった場合、そのイライラには必ず原因がある。
だけど、多くの人は「なぜイライラしているのかわからない」といった状態になってしまう。
「わからない=解決できない」
こういった図式になってしまうため、解けない問題となったさらにストレスを増加させる。
人というのは、「希望」があるからこそ生きていける。
裏を返せば「お先ずっと真っ暗」な状態になれば、すぐ死を選ぶ。
つまり何が言えるのかというと、「わからない=解決できない」という状態を前に進め「なぜイライラしているのか」を紐解く必要がある。
さらに根本的な欲求にまで深堀する
「イライラしていたのは、仕事がうまくいかなかったからだ」
そうして「気づく」という行為を取った後、その次にその根源的な理由にまで理解を深めることをこの本では伝えています。
どういうことかというと。
人には潜在的な欲求が隠れているとされていて。
- 生存欲
- 性欲
- 食欲
- 睡眠欲
- 承認欲
- 怠惰欲
- 感楽欲
この7つの欲求が含まれているとされています。
「仕事がうまくいかない」という欲求は裏を返すと、「仕事でうまくいき他人から認められ、尊敬されたい」という潜在的な欲求が潜んでいることが見えてくる。
つまり「承認欲求が満たされていないため、イライラしていた」という反応の順路が見えてくるわけです。
このようにさらに深堀して見ていくと、その根源的な悩みの原因にたどり着き、自分の現状を知れるわけです。
理解することで、ストレスは軽くなる
そしてこのように自分自身を深く理解し、「なぜイライラという反応をしたのか」といった原因が見えてくると、それだけでストレスというものは軽くなっていきます。
それは先ほども伝えた通り、「わからない」という状態は解決の兆しがないということを意味し、「希望がない」ということは人間の活力を奪うからです。
悩みの本質に気づき、その原因が分かれば、自分を客観的にみられるため、冷静に物事を判断することができる。
この「客観的に」というところがキーパーソンで。
これは「マインドフルネス」という心理療法にも組み込まれている考え方です。
僕はこの本を見て、「客観的に自分を見る」ということが、最大のテーマであり、反応しない練習のメインディッシュだと思いましたね。
というのも、この本の師である「ブッタ」や「仏教」というものが、瞑想というものを取り上げていて。
この瞑想によるストレス低減効果は科学的な研究で数々と証明されています。
それはこのマイアミ大学の研究でも証明された通りで。
何千年も前に生まれたもので、当時は研究の仕様がなかったものの、その効果は現代では証明されているものの1つです。
この瞑想もいわゆる「客観的に自分を見る」ことからストレス低減効果をもたらすとされていて、客観的に見て「むやみやたらに反応しない」ことの重要性を説いています。
だからこそ、反応しない練習というのは言い換えると「自分を客観的に見る」ということにいいかえられ、現代の科学的な根拠を踏まえてもその証明になっている、ということなんですね。
感想レビュー
とまあ、かなりざっくりではありますが、内容の本筋とメインディッシュところを分かりやすく解説してきました。
んで。
僕自身がこの本を見て感じたのは、まず1つ目に仏教という宗教の凄さ。
僕は基本的に宗教は信じておらず、「神」などのものも基本的には信じていません。
何を信じるかは個人の自由。僕個人は無宗教であり無神論者ということですね。
そのうえで、歴史的な背景を紐解いていったとき、神の存在というものが多くの発展を阻止してきた存在だとも個人的には思っています。
僕ら人間は「知る」ということを1つの欲求として進めてきた。
ただ、地球のことはもとより宇宙のことなど、わからないことだらけ。
その分からないことに対して、すべての回答をしたのが「聖書」であり「神」という存在。
それは「なぜ病気で死ぬのか」「なぜ雨は降るのか」
こうした当時では解明できなかったことに「理由」を欲したため。
そうして理解したと勘違いして、本当の原因を追究する手を止めた。
時代が時代の時は、聖書に書かれていることに違いがあると指摘すれば、死刑にすることさえあった。
地動説なんてのはまさにその典型で。
聖書に書いていない=間違っている。
そんな解釈が生まれていった。だからこそ、発展を妨げたのは神であり宗教だと、僕個人では少し感じているわけです。
話を戻して。
それだけ「知る」という力は膨大であり、力を持っているというもの。
この本を見たりしたとき、「客観的に原因を知っただけで何になるのか」と感じた人は多いと思います。
もちろん本書の反応しない練習には、具体的な対応が書いていないこともないですが、本質は「自分を客観的に見る」ということ。
「客観的に自分を見ても根本的には解決していないのだから、悩みは解決しないのでは?」と思うのは当然のことです。
ただ先ほども伝えた通りで、客観的に自分を見て「知る」ということは、それだけ力のあることであり、大切だということ。
それを何千年も前に仏教では実施しており、人々の価値観が何週もするほどの時を経て「科学的に証明」されているものが多いのが、仏教です。
もちろん仏教にも解釈が間違っているのもあるのでしょうし、キリスト教にもあっているものもあるのでしょうが、瞑想をはじめとした解釈や行いが、ストレス低など「正しかった」と証明される宗教はほかにないでしょう。
だからこそ、仏教ってすごいなと率直に思ったわけで、「禅」などをはじめとして、スティーブジョブズなどの歴史的な偉人がハマることもうなずけます。
「自分を客観的に見る」
ある事象にすぐに反応するのではなく、事象の本質を見抜き、理解する。
それこそが「反応しない練習」の本質だと感じました。
ぜひ参考にどうぞ。