【残業時間が多い=効率が悪い無能】という風習が謎過ぎる

最近、「残業時間が多い人は、仕事の効率が悪く、優秀じゃない無能な人」だ。

そんな意見をする人を間近にしました。

 

世間的には、与えられた仕事をテキパキこなし、残業せずに定時内で帰れる人が本当に優秀な人。

与えられた仕事が定時内に終わらす事が出来ずに、残業時間が多い人は、仕事が遅い無能な人。

そんな風習が根付き始めています。

 

これってえげつない風習で、ありえねぇ。

疑問点が多すぎる謎な固定概念です。

 

 

 

そもそも人間には、得意不得意があります。

それは考えないんですかね?

 

遅くてもじっくりやる人。早くても適当にやる人。

会社にて働いてくれる会社員も千差万別な性格です。

それは理解しないんで、駒の様に扱うのが会社ですか?

従業員は、会社や社長にとって歯車の一部で機械と一緒ですか?

 

残業をせずに、時間内に仕事を終わらせる事が、本当に優秀な人だと思う人に、問いつめたいです。

 

優秀な人の定義

 

人間には向き不向きと言う物がそもそも存在します。

仮に「残業時間が多い=効率が悪い無能」という事であるなら、仕事が遅い人は、その仕事に向いていないと言う事に成ります。

しかし、それだけで無能でその効率が悪い人の全てが、否定される筋合いは無いです。

 

例えば、今では天才発明家として名高いエジソン。

電気を発明し、トースターを開発したり、自身の電力会社を立ち上げたりと、ビジネスマンとしてかなりの手腕を発揮した偉人です。

しかし、彼は元々学生の頃、ほとんど勉強はできず、中退しています。

学生と言えば、学業が本分。

会社員で言えば、仕事をする事と同義語です。

 

そう言う意味で言えばエジソンはかなり無能は人物と言う事に成ります。

 

 

 

ヒトラーなんかも、学生の頃受験に失敗し、今で言うニート生活を送っています。

(ここでのヒトラーは独裁者としてではなく、政治家のトップとしての判断)

そう考えると、一つの分野で言えば、無能だったと言う事です。

 

そこから、演説での成功を機に、ナチ塔に入党して提督となっています。

 

 

特殊相対性理論を発明して、天才科学者の異名を持つアインシュタインも、興味ある分野以外は、全く勉強ができなかったと言います。

つまり、そもそも一つの分野が出来なかったら、才能が無く、効率が悪い無能という言い方自体的外れと言う事です。

 

仮に残業が長く、仕事が出来なかったからと言って、その出来ない人の全てが否定されるのは甚だお門違いと言う事です。

 

異分野で輝いた友人の例

 

残業が長くて多いとして、仕事が出来なかったからと言って、その出来ない人の全てが否定されるのは甚だお門違いと言う事の例として、別件で僕の身近に1人の友人が居ます。

彼は、仕事と言う分野では、あまり優秀とは言えない人でした。

 

上司に理不尽を叩き付けられる事も多いし、それをあまり口には言い出せないタイプで、隅っこで不器用ながらも、地道に物事を精進するタイプです。

でも、あまり要領が良く無いので、残業時間も普通の人よりも多くなってしまい、いつも会社から帰るのは10時を過ぎていました。

 

また、会社での業務で車を運転する事も多いのですが、車の運転もあまり上手くは無く、そこでも上司から「そこ左だったろ!」「今進路変更しておけよ」と愚痴を言われる事も多いみたいでした。

またあるときは、パソコンでの事務作業を言い任されたのですが、本来の業務ではない為、慣れないパソコンに四苦八苦しているようで、通常の人がかかる何倍もの時間が掛かってしまったようでした。

 

本人は努力を怠らず、頑張っているはずなのに、上司から常に目の敵にされ、ことあるごとに怒鳴られる日々の毎日。

ここまで聞いてみると、社会人としては不出来な事が多いし、あまり優秀とは言えるような人材ではないです。会社側からすれば。

運転も出来ないし、仕事も遅い。残業時間も人より多い。

 

 

そんな仕事が出来ない彼ですが、一つの趣味がありました。

それが音楽。しかもその音楽は、趣味の枠を超えているレベルでした。

学生の頃から、ライブハウスでライブをやったり、音源を作って公開したりと、彼のファンも元々、多くいました。

 

更に、ライブには出演料を払ってでも、出演してほしいと言う事が数年前から始まり、lineの広告に起用されたり、テレビ番組(地上波、アベマTV)に出演したり、その才能を開花させて行きました。

 

会社での側面しか見ていない人であれば、仕事が遅く、飲み込みが遅い、出来ない事も多く、使えない人材と吐き捨てている友人の上司。

だけど、仕事という側面は苦手であったとしても、人間として無能と言う事では決して無い。

その証拠に、彼は一躍脚光を浴びて行きました。

 

ステージや状況が違えば、全く違った結果になる。

そんな事を証明した一例です。

 

会社の成績の為に働く人生って何なんだろうね。」コチラの記事で紹介している友人も同じケースでした。

 

おそらく僕も社会人として会社に属していたときは、使えないレッテルを貼られた社員だったと思います。出来ない事も多いし、知らないことも多い。どちらかと言えば会社員としては無能な分類。

だけど、そんな人間でも、独立するに至り、誰かに雇われたり、使い回されたり、コキ使われたりせず、1人で行きて行ける様になりました。

サラリーマン当時よりも遥かに自由です。電車に乗る事も無いし、嫌な上司と会う事さえも無いですから。自分を押し殺していたあの時よりも断然に楽しい時間が多くなりましたね。

 

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残業時間が含まれた定時

 

そもそも、僕が居た会社での残業のケースは、ほぼ強制の様な物でした。

僕がサラリーマン時代の定時は9時から21時までの12時間でした。

通常で4時間の残業。多いときは6時間以上残業の時間です。

 

これは不動産での仕事でしたが、含み残業を換算しての時間。

どれだけ早く終わっても、効率よく仕事を済ませても、帰る事は出来ませんでした。

なぜなら残業時間を全て含めたのが就業時間と言う、なぞの決まりがあったから。

 

19〜20時位には、仕事を終わらせていて、やる事が無い従業員も居ましたが、帰る事が出来ないので、パソコンでゲームをして時間をつぶしている上司も居ました。

労働基準法なんかで、日本では8時間労働が決まり。

なんて決めごとがあるみたいですが、そんなの別次元と言う感じでガン無視でしたね。

 

「とりあえず、12時間は拘束しとけ」

そんな社長からの心の声が届きそうでした。

 

 

残業時間が多い=無能

そう言う事であれば、強制的に残業をしているこの状況であっても全て無能な人材になります。

やる事が無いのに残らされている。

長い時間拘束されている。

当然その分サービス残業なので、会社に取っては、痛手でも何でもありません。

 

参考記事:「サービス残業で薄給過ぎて貯金も出来ないとき、コレに出会った

 

ヨーロッパの残業時間

 

まず日本とは違い、欧米での残業時間はめちゃくちゃ短い訳です。

多くても1時間とか2時間が残業の限界のケースで、ほとんど就業時間を過ぎれば、働く事は無くなります。

平均では1日1時間も残業をしない国さえあるのがヨーロッパや欧米。

 

日本ではスーパーなんかに行って、閉店5分過ぎでも店内に迎え入れてくれるお店や人も多いですが、イタリアなんかでは5分過ぎれば就業時間を過ぎているので、すぐさま帰ってしまう様です。

以前、サッカー日本代表の長友がイタリア生活を告白する番組で言っていました。

 

 

またヨーロッパでは、昼寝の時間を仕事中に持ち込んでいる会社さえあります。

昼飯を食べた後には、休憩の睡眠を取る時間を必ず取るという。

 

そんな国々の集まりがヨーロッパなのに、世界経済のトップ7各国であるG7ではフランス、イタリア、ドイツ、イギリスと半分以上と多くをヨーロッパが占めています。

つまり残業をせずとも、世界経済のトップを牽引する事は出来ると言う事の証拠です。

 

 

しかも国土や人口で言えば、イギリスは日本よりも小さく、人口も日本の方が多い訳です。

(ヨーロッパ諸国は一つの国々はめっちゃ小さいですから)

 

 

じゃあヨーロッパの人々が、日本人よりも優れ、1人1人の能力が高い人が多いのかと言えばそうではないです。

日本人の能力も世界各国から認められていますし、日本製品の品質はかなり高い物が多いですから。

 

また8対2という法則がビジネス界にはあり、全てが8対2の割合に要約されるという法則です。

全世界の8割のお金を2割の富豪が占めている。

成果の8割は2割の労働が占めている等。

 

となると生産性の高いヨーロッパであっても、8割の働き者と2割の怠け者が存在する訳です。

それでも残業時間が短くとも、経済大国になり得ると言う事。

 

ある企業では、残業を一切に禁止にしていて、定時に帰らないと上司から怒られる会社すらあります。

しかも日本の会社で。

それでも売り上げは右肩上がりで、従業員の満足度はかなり高いです。

 

日本では残業する事が当たり前になっているから、残業せずに帰る人が優秀で、当たり前の様に残業する事こそが、無能の証明と言う風に扱われます。

だけど、それを当たり前にしている会社側がそもそもの根底の原因です。

 

人の能力は千差万別

 

そして一つの分野で出来なかったり、遅かったりしただけで、仕事の効率が悪い人のそのものの能力全てが低いなんて事はあり得ません。

事務作業的な仕事は遅いかもしれないけれど、コミュニケーション能力が高く、営業に向いている人もいるだろうし。

パソコン業務は苦手だけれど、喋る事は得意で、プレゼン能力が高い人も多いでしょう。

喋る事は苦手で、人見知りだけれど、驚異的な発想力を発揮する人も多いでしょう。

(紹介した友人もこのタイプです)

 

人の能力は千差万別。

また完璧な人間は誰1人としていません。

一つの能力が欠如しているだけで、無能な人材なんて決めつけられる訳ないし。

仮に決めつける人が居るのであれば、その人はどれほど完璧なんですかって話で。

 

残業時間が長い=無能っていう一つの決めつけ自体謎が多い風習。謎過ぎます。

 

残業の上限時間を決めたって、俺らに何の恩恵も無いだろ。」これでも更に言及しています。

 

残業時間が多いのは、管理する人間の能力不足

 

残業時間が多い=仕事の速度が遅く、テキパキこなす能力がない。

そんな風に、効率の悪い無能扱いを受ける訳ですが、ボクは全くそんな事は思わず、むしろ「長所を見極められない上司の無能さ」の方が強いと思っています。

 

先ほど挙げた通り、エジソンやアインシュタインといった、偉人達も全てが優れていた訳ではなく、「自分の長所」を生かして、偉業を成し遂げた訳です。

むしろ苦手な事をやってもダメな過去が、それぞれの意地でも当然あって、全てが出来る超人でもなんでもない。

得てして得意不得意があったということ。

 

それであるなら、効率が悪い、仕事が出来ない=向いていない、長所を生かしきれていない。

ということになる。

 

でも、効率が悪い、仕事が出来ないからといって、全てが劣っているわけでもなんでもない訳です。

であるなら、「長所を生かしきれない部署」に配置し続けている、上司や人事の方がよっぽど無能な気がします。

 

パソコン関係や事務関係が苦手なのに、「経理」にずっと置く。

人見知りで、話べたなのに、「営業」にずっと配置する。

それぞれの個性を見極めて、的確に配置する事が、上司であったり人事の仕事のはず。

 

でも、向いていない人や場所に、ずっと配置して「残業時間が多過ぎる。無能なんだよ」と、改善案を出さずに頭ごなしに、出来ない人を否定する。

これって、「適切に配置出来なかった自分の無能さ」を露呈しているに他ならない。

そう思います。

 

であるなら、適切な部署や仕事内容を与えて、その人の能力が生きる部署に配置した方が、会社全体としても上手くいくだろうし、向いていない部署や仕事で翻弄している方も、生き生きと仕事が出来るでしょう。

 

 

なにも代替え案を出さずに、頭ごなしに「残業が多い=効率の悪い無能」と決めつけ、何も変革を興さない、その上司や人事こそ、ボクは老害なんだと思いますね。

まさしく、管理する側の能力不足なんだと思います。

 

終わりに

 

僕が大好きなドラマでドラゴン桜と言うドラマがありました。

落ちこぼれの高校生が日本一の大学、東京大学を受験すると言う物語。

 

そこで、落ちこぼれである高校生の親御さんに、東大入学の指導をしている桜木先生が面談をするシーンがあります。

 

落ちこぼれ高校生を子供に持つ親は、桜木先生に対し「バカな自分の息子に変な夢を持たせないでくれる?」と猛反発します。

その時に桜木先生が言った言葉が、凄く感慨深かった。

 

【桜木先生】

「回りの子より、私の子供は歩くのが遅かった」

「回りの子に比べ、全然勉強ができない」

「この様に、既に自分の子供の能力を決めつけてしまっているあなた達、親は子供よりももっともっとバカだ」

 

「子供は成長のスピードがそれぞれ違う。成長が遅いかは早いかだけで、出来る出来ないは関係ない」

「しかしあなた達バカ親は、少し成長スピードが遅いだけで、出来ない子供と決めつけてしまう」

「その結果子供は、【自分は落ちこぼれ】と親の思う出来ない子供に本当に育ってしまう」

「成長スピードは脳の発達の仕組みが原因なだけで、決めつける安易なバカは子供達じゃなく、あんた達親だ。」

 

そんな風に親の目の前で、面談するシーンがあります。

間違いないですね。

 

逆に、「僕は仕事の効率が悪くって、人間として無能なんだ」って自分の事を思ってしまっている人も、全然人間として駄目な訳では全く持ってない。

自分を生かすステージは必ずあるはずです。理不尽な残業を押し付けてくる上司なんかに、負けふす必要なんてミジンコほどもありません。

 

今では数々の人にビジネスのアドバイスをしている僕ですが、元々能力値は低いポンコツでしたから。

 

それでも起業してからは業績は右肩上がりだし、収入は同世代の3〜5倍ほどもらっています。

割合で言えば日本人口のわずか数%の年収だそうで。

 

別にこれは自慢したい訳でもなんでもなくって、元々無能だった人間が、ところ変われば能力を発揮できる。

別に残業している=無能ではない。ということの1つの証明だったんだと思います。

 

出来ない事をいくら頑張っても、上手くいく事はそう多くない。

それであるなら、出来る事を伸ばして行った方が、遥かに上手くいく。

そんなことが、ボクの中で痛感した出来事でした。

だから、今あまり仕事が上手くいっておらず、上司から散々言われているような人でも、自分を責めないで欲しいなって思います。

 

ボクが起業した経緯や、ポンコツがいかに日本人口のトップ数%の年収の割合に食い込み多野かは。出版してランキング1位を獲得した書籍「僕の辞書から就職が消えた日」でも、全て包み隠さず書いていますし、そんなポンコツ時代があったんだと、楽しんでもらえると思うので、是非こちらから覗いて立ち読みしてみて下さい。